日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「昭和」「平成」から「令和」へ

〇新年号が「令和」となり、5月から実施されることになる。

『万葉集』巻五、梅花の歌三十二首の序文「時、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す」が典拠だそうだ。

「令」と「和」の文字が入った一文は、(「初春のよき月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる」)という意味になるのか。

 広辞苑によると、令月:万事をなすのによい月。令:おきて、よいこと。「和」:おだやかなこと、仲良くすること。などがでている。

 新年号について、ああそうなのかと思うが、時の政府によっての政治的作為には違和感を覚える。いずれにしても、それをとらえる一人ひとりの感度は違うだろうが、その言葉の実質は、その時代を生きた一人ひとりの総和よってつくられていくと思う。

 また、「昭和」「平成」の時代を受けての「令和」という視点も入れて考えたいとも思う。

 

 戦後(1947年)生まれのわたしにとって、大雑把なとらえ方をすると、「昭和」は戦争・敗戦が色濃く反映した時代と思う。戦争に対する拒否反応が強く、そのことが昭和の戦後・平成を通しての平和をもたらすことになる。また、それにより戦後、水俣などの公害をおこしながら、高度成長経済が推進されることになる。「平成」に入りバブル経済とその瓦解がおこり、それでも成長路線を続け、随所に綻びが出始めている。

 平成に入り淡路阪神大震災、東日本大震災・原発事故などが起こり、また、少子高齢化はすすみ、それを支える医療、福祉体制などが追いつかない現状である。

 一方、科学技術の発展により、電子技術、AIや遺伝子操作などが、人の関係、人のこころ、倫理などにどのように影響を及ぼすのか予測がつかない。

  

 一人ひとりそれぞれの経験があり、記憶や思い出がある。その過去の経験・記憶・思い出を今に蘇らせ、それが自分の人生にとって何であったのかを見つめなおし、残された人生に活かす。こうして、過去は現在の中で未来と重なることができる。

 

 70歳を超えたわたしは、そのことを心に置きなが、「令和」時代を暮らし、ささやかでも次代につながるように生きていきたいと願っている。

 

 参照(1):「令和典拠の万葉集序文、『中国の文章ふまえた』が定説」(朝日新聞デジタル4/2より)

 万葉集に関する著書が多い歌人の佐佐木幸綱さんは「万葉集は明治から昭和前期まで『国民歌集』で、日本人の心の原点として読まれた。戦後、そうした読み方が色あせ、現在は大学の卒論などでも人気はそれほどではない」と解説。そのうえで「山や川、海の描写の細密さ、多彩さなど、現代人が忘れ去った自然への興味と好奇心がうたわれている。この機会に万葉集の新しい魅力が発掘されるのでは」と期待する。

 ただ、「令和」の二文字がとられた序文は中国の有名な文章をふまえて書かれたというのが、研究者の間では定説になっている。

 小島毅・東大教授(中国思想史)によると、730(天平2)年正月に今の福岡県にあった大宰府長官(大宰帥)を務める大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で宴会があった。そこで「落ちる梅」をテーマに詠まれた32の歌の序文にある「初春の令月」「風和(やわら)〈ぐ〉」が新元号の典拠だ。この序文が中国・東晋の政治家・書家である王羲之(おうぎし)の「蘭亭序(らんていじょ)」を下敷きにしているとし、心地よい風が吹き、穏やかでなごやかな気分になることを意味する「恵風和暢(けいふうわちょう)」という一節と重なるという。

 さらに「梅は中国の国花の一つで中国原産ともされ、日本に伝わった。『中国の古典ではなく日本の古典から』ということにこだわった今回の元号選びは、ふたを開けてみれば、日本の伝統が中国文化によって作られたことを実証したといえる」とも指摘する。万葉集研究者の多田一臣・東大名誉教授も「蘭亭序」が下敷きだとして「日本の漢文的な作品は、どう取っても中国の作品に行き着く」と話す。

 

参照(2):内田樹の研究室「新元号について」(2019/4/2)

〈新元号についていくつかのメディアから取材があって、コメントを述べた。

どれも短いもので、意を尽くせなかったので、ここにロングヴァージョンを採録する。

ロシア国営通信社『ロシア・セヴォードニャ・スプートニク』の日本語版に寄稿したものである。

 紙面では短縮されているかもしれないが、これがオリジナル。

 最初に、元号に対する私の基本的な立場を明らかにしておく。元号を廃し、西暦に統一すべきだという論をなす人がいるけれど、私はそれには与さない。それぞれの社会集団が固有の度量衡に基づいて時間を考量する習慣を持つことは人性の自然だと思うからである。

 西暦は発生的にはイエス・キリストの誕生によって世界は一変したという信仰をもつ人々が採用した「ローカルな紀年法」に過ぎない。たしかに利用者が多く、国際共通性は高いけれども、多数であることは、それ以外の紀年法を廃して、西暦を世界標準にすべきだという十分な論拠にはならない。イスラム信者はヒジュラ暦を、タイの仏教徒は仏暦を、ユダヤ人はユダヤ暦をそれぞれ用いているが、彼らに「固有の紀年法を廃して、キリスト紀元に統一せよ」と命じることは少なくとも私にはできない。

 文化的多様性を重んじる立場から、私自身は日本が固有の時間の度量衡を持っていることを端的に「よいこと」だと思っている。元号は645年の「大化」から始まって、2019年の「令和」まで連綿と続く伝統的な紀年法であり、明治からの一世一元制も発祥は明の洪武帝に遡るやはり歴史のある制度である。ひさしく受け継がれてきた文化的伝統は当代のものが目先の利便性を理由に廃すべきではない。

 その上で新元号についての所見を述べる。

 新元号が発表された直後からネット上では中国文学者たちから万葉集の「初春の令月、気淑しく風和らぐ」の出典が中国の古詩(後漢の張衡の『帰田賦』にある「仲春令月、時和気清」)だという指摘がなされた。岩波書店の『新日本古典文学大系・萬葉集』の当該箇所にも典拠として張衡の詩のことが明記してある。「史上はじめての国風元号」を大々的に打ち上げた割に、「空振り」だったわけである。

 2016年に天皇陛下が退位を表明されたが、それは改元という大仕事に全国民が早めに対応できるようにという配慮も含まれていたはずである。しかし、官邸は政権のコアな支持層である日本会議などの国粋主義勢力に対する配慮から、元号発表をここまで引き延ばしてきた。「国風」へのこだわりもこの支持層へのアピールに他ならない。そういうイデオロギー的な配慮が先行して、元号制定そのものへの中立的で冷静な学術的検討がなおざりにされた結果の「空振り」とすれば、これは看過することができない。

 元号の発表を統一地方選の最中に発表をぶつけてきたことにも政治的作為を感じずにはいられない。選挙期間に、朝から晩まで特定政党の総裁と幹部がメディアに露出し続けるイベントを設定するというのは政治的公平性を考慮したらほんらい自粛すべきことであろう。良識ある政治家なら、改元がもたらす政治的影響が最も少ない時期を選んで発表を行ったはずである。だが、安倍政権はその逆のことをした。「李下に冠を正さず」どころか、狙いすまして「李の下」で冠をいじくりまわしたようなものである。著しく配慮を欠いた日程設定だったと思う。

 元号は、天皇制に深くかかわる国民文化的な装置であり、すべての国民が心静かに受け入れられるように最大限の注意をもって扱うべき事案である。安易に党派的な利害に絡めたり、経済波及効果を論じたりするのは、文化的伝統に対して礼を失したふるまいと言わざるを得ない。

 残念ながら、どれほど文化的多様性を称揚しようと、グローバル化する世界で国際共通性をもたない紀年法は遠からず事実上廃用されることになるだろう。この流れを止めることは難しい。わが国の一つの文化的伝統がやがて消えてゆくことを惜しむがゆえに、今回の「改元騒ぎ」がいくたりかの人々の「元号離れ」を加速したことを私は悲しむのである。

※内田樹の研究室「平成が終わる」(2018-03-07)より

〈平成という時代が2019年4月で終わることが決まった。元号が変わることについてある媒体から「元号はこれからも必要なんでしょうか?」と訊かれた。元号を廃して、西暦に統一すればいいと主張している人がいることは私も知っている。でも、それはいささか短見ではないかと思う。別に日本の固有の伝統を守れとか、そういう肩肘張った話ではなく、時間を時々区切ってみせることは、私たちが思っている以上に大切なことのように思えるからである。〉との書き出しから始まる文も併せて読むと面白い。