日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎日々彦「詩句ノート」、柳美里著『町の形見』の巻末の挨拶文から

〇柳美里著『町の形見』の巻末の挨拶文から

・言葉の解放(「静物画」パンフレット挨拶文)より

〈2011年三月十一日とその後に続く避難生活の中で声を呑み、感情を巻き添えにして沈黙を通している人は多い。

 言葉は、元来、声である。

 沈黙の中から感情を救い出し、言葉をゆすり動かすことができるのは、自分自身の声しかないのではないか――。

 自分の口から発した声は、他人の鼓膜を震わせる。

 声によって、感情や言葉は自分の中から持ち出され、他者に伝わる。

 人前で声を発するのは、たいへん不安なことだし、時には恐ろしいことである。〉

 

〈彼らの声の源にある感情を、彼らとともに大切に丁寧に扱った。

 彼らと「静物画」という芝居を創る過程で、わたしは、彼らの中で声が生まれ、外に出たがっている瞬間にいくつも立ち会うことができた。

 彼らは、自分と外界を隔てる境界線でもある体の中から、声を発することによって自分を解き放った。

 演出者冥利に尽きる、と言っても良いのではなかろうか?〉 

 

・記憶のお葬式(「町の形見」チラシ挨拶文)より

〈わたしにとって、他者はいつでも分厚い壁のように隙がなく、入り込む余地がない不可触の存在だった。でも劇場を悲しみの水で満たすことができれば、自が他に、他が自に触れ、奇跡のように融合する瞬間が訪れる。それは至福の時でもあった――。」

 

〈人は記憶を抱えて生きている。

 生涯、生々しい感情を伴う大波のような記憶もあれば、日々の暮らしの中で

 繰り返されることによって刻まれるさざなみのような記憶もある。

 人は、誰しも死ぬ。

 死ねば、夥しい記憶の群れもまた、無になる。

 生あるうちに大切な記憶に別れの言葉を述べ、懇ろに弔いたい。

 『町の形見』は、記憶のお葬式です。

 あなたに形見分けを贈ります。〉

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・悲しみの物語(「町の形見」パンフレット挨拶文)より

〈「町の形見」では、過去を現存させるために時間の蝶番を外すことだけにわたしは注力した。

 過去からきて未来に向かう――、それは現実社会に都合の良い一つの時間の見方にすぎない。

 過去に存在したものや出来事は、今は無いのではなく、今にも未来にも存在する。

過去も未来も、いまここにしかない。

 様々な過去や未来を包括した今を、今ここで経験することができるのが、演劇なのである。〉

 

〇2019年四季折々(3月11日~17日)

(11日)・しら梅の泥を破りて咲きにけり(照井翠)

 東日本大震災関連の報道に触れて、困難な状況の中で「生きる」ことについていろいろ思う。いろいろな困難を乗り越えて、あるいは抱えながら今に向かい合う人、明日に向かっていく人、一方、年齢に応じて心身ともに困難が増してきて、悶々とした日々を送る人、「死んだ方がましだ」と思いながら暮らしている人などに対し、いずれにもさまざまな思いが出てくる。

 どんなに年を取ろうと、どんなに重い病気になろうと、どんな苦境に立とうと、人間はよりよく生きたいという本能的なものをもっていると思われる。それは簡単にはなくならないはずである。一人ひとりの心の持ちようが肝心であるが、それが引き出されていく支援も欠かせないと思う。

(今日の一句)・不安抱く人のこころへ雪解風

 

(12日)・草の戸も住みかはる世ぞ雛の家(芭蕉)

 NHKスペシャル『終の住みかと言うけれど…~取り残される被災者~』を見る。

〈震災から8年。被災地ではほぼ全ての災害公営住宅が完成するなど「終の住みか」の確保は順調に見える。しかし、そこには時が経ったからこその課題が重く横たわる。度重なる転居で人々の繋がりが分断され、コミュニティーを保てない集落が続出。支援の打ち切りも相次ぎ、高齢者の孤立化や孤独死の問題などが顕在化している。さらに、震災直後から壊れたままの家に住み続け、今も厳しい暮らしを強いられている「在宅被災者」が多くいる実態も明らかに。“住まいがある”として支援制度の枠組みから外されているのだ。一方、避難者の帰還政策が進む福島。待ちわびた「終の住みか」に戻れたものの、故郷の姿が変わり果てたことを目の当たりにして、ふるさとの「第二の喪失」とも呼ばれる大きなダメージをこころに受けている。〉との内容。

「終の住みか」は、これから死ぬまで安住する所をいうが、そこには安定、安心して暮らしていきたいという思いがあるのだろう。それとともにつながる人の環が大きいと思う。

 私は福島で生まれてから、10回以上住まいが変わってきた。今のところに居心地の良さを感じているがこだわりはない。芭蕉のように「日々旅にして旅を栖とす」というにはほど遠いが、その時の状況に応じて考えていければいいと思っている。

(今日の一句)・ふるさとは生涯持たず春の波

 

(13日)・俳句詠みいじめ克服羽化揚羽(小林凜)

 松村 亜里『世界に通用する子どもの育て方 』を読み、ポジティブ心理学の研究に関心を寄せている。ポジティブ心理学は、「幸福になるにはどうすればいいのか」を科学的に探究するもので、個人や社会を繁栄させるような強みや長所を研究する心理学の一分野である。

 本書は彼女の体験からの裏付けに、ポジティブ心理学とウェルビーイングの最新研究成果のエビデンスを踏まえて、具体的な工夫の仕方を提示していることが大きな魅力になっている。

 あとがきに「私はこの本に役立つことを書いたつもりですが、正しいことを書いたわけではありません。正解はどこかに一つあるものではなく、それぞれの中にあるものです。」とあり、研究者として真っ当のことと思うが、きちんと述べていることに強い印象が残った。

(今日の一句)・蛹は蝶に不思議を問うやしなやかに

 

(14日)・地の涯に倖せありと来しが雪(細谷源二)

「幸せ」や「健康」という極めて主観的な感情を科学的にとらえることは、かなり難しいとされてきた。科学のルールとして「相関関係は因果関係を含意しない」がある。因果関係を明確に示すデータや再現性がないと「科学的に立証された事実」とは認められない。

 だがそれは多くの人にとって関心の高いものであり、一部の研究者の大きな目標課題でもあった。近来の分野を超えた研究者、科学者などの研究成果で、幸福や健康についての知見が高まってきたし、そのことを専門に考察する人も増えてきて、人がどうすれば幸福になるかというテーマは、分野を超えて大きな課題になってきている。

 私も、自分の日々の活動が、ささやかでも幸せな社会につながるかどうかには留意していきたいと思っている。

(今日の一句)・間違いを認め膝つき冴え返る

 

(15日)・真砂なす数なき星の其中に吾に向ひて光る星あり(正岡子規)

 科学番組BS「コズミック フロント☆NEXT」を見る。〈2014年、私たちの地球は5億光年もの大きさのラニアケア超銀河団の一員であることがわかった。ラニアケア超銀河団は10万の銀河が川のように1か所に向かって流れている構造となっている。この発見をもたらしたのは、銀河の位置と動きを示した宇宙地図だ。そして2019年1月、さらに範囲を広げた新しい宇宙地図が発表された。天文学者たちは、どのようにしてこの宇宙地図を作ったのか? 壮大な研究の最前線に迫る。〉

 この番組を見ていると、その中で、今地球上で起こっていることや私たちの捉えているものが自分の感覚にすぎないことを思う。そこであれこれ考えてはいるが。

(今日の一句)・春星やひとは宇宙の落としもの

 

(16日)・こみあげる怒りを内に留めおれば五臓六腑は静かに腐る(高橋美加子)

 柳美里著『町の形見』を読む。この作品をとおして、東日本大震災のような社会的影響に及ぶものから個人的なものまで、ある体験を語ることや、戯曲・小説など文芸作品として表現することについて考えた。

 本書は、東日本大震災直後の2011年4月、全域が警戒区域に指定された南相馬市小高区など同市で生まれ育った70代の男女8人の、震災時とそれまでの人生体験の記憶を舞台上に再現することを意図した戯曲である。本人たちとその人に応じた黒子のように寄り添う若い役者が劇中劇のように交互に記憶の情景を演じるように構成されている。

 私は再度福島に行き現地を見て、いわき市に在住している親しくしている友人夫妻からそのときの話を伺っていた。旦那は水産関連の仕事に携わっていて、港の近くからようやく逃げ帰ったという。その後会社は営業できなくなり、しばらく救援活動をしていた。奥さんは教育関連の仕事をしていて、子どもたちの様子など当事者ならではの身に迫る表現などを思い出しながら読んでいた。

(今日の一句)・瓦礫つむ広野の里に白き梅

 

(17日)・こしかたもゆくすえもなしあるはただまわりてめぐるいまのつらなり(高橋美加子)

「町の形見」パンフレット挨拶文には、〈「町の形見」では、過去を現存させるために時間の蝶番を外すことだけにわたしは注力した。過去からきて未来に向かう――、それは現実社会に都合の良い一つの時間の見方にすぎない。過去に存在したものや出来事は、今は無いのではなく、今にも未来にも存在する。過去も未来も、いまここにしかない。様々な過去や未来を包括した今を、今ここで経験することができるのが、演劇なのである。〉とある。

 おそらく上演されることで、当時の状況が演ずる人はむろん、観劇する一人ひとりに突きつけるものがあるのではないか。生の声で演じることを想定した時空を超えた戯曲、演劇のもっている大きな可能性を感じさせる作品になっている。

(今日の一句)・今ここのひかりに集う百千鳥