日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎過去も未来も、いまここにしかない。(柳美里著『町の形見』を読んで)

 この作品をとおして、東日本大震災のような社会的影響に及ぶものから個人的なものまで、ある体験を語ることや、戯曲・小説など文芸作品として表現することについて考えた。

 

 上演を見ていないが、巻末の解説文を参照しつつ舞台を想定しながら読んでいた。

 表題作の「町の形見」は、東日本大震災直後の2011年4月、全域が警戒区域に指定された南相馬市小高区など同市で生まれ育った70代の男女8人の、震災時とそれまでの人生体験の記憶を舞台上に再現することを意図した戯曲である。本人たちとその人に応じた黒子のように寄り添う若い役者が劇中劇のように交互に記憶の情景を演じるように構成されている。

 

 70歳を超えた被災者が若い役者たちに自らの人生を語り、そして「あの日」と災後の日々を語る。被災者へのインタビューなのか、本人のセリフなのか素の語りなのか、寄り添う役者たちのそれぞれの被災者になりきったセリフや被災者に対する問いかけも交えて、地震と津波と原発事故についての語りがスリリングに交錯して、物語は展開する。

 

 語り部でもない、ドキュメンタリーでもない、ある意味フィクションとも言い難いような演劇世界となっている。おそらく上演されことで、当時の状況が演ずる人はむろん、観劇する一人ひとりに突きつけるものがあるのではないか。生の声で演じることを想定した時空を超えた戯曲、演劇のもっている大きな可能性を感じさせる作品になっている。

 

 巻末にある著者による「町の形見」パンフレット挨拶文に次のように述べている。

〈「町の形見」では、過去を現存させるために時間の蝶番を外すことだけにわたしは注力した。

 過去からきて未来に向かう――、それは現実社会に都合の良い一つの時間の見方にすぎない。

 過去に存在したものや出来事は、今は無いのではなく、今にも未来にも存在する。

 過去も未来も、いまここにしかない。

 様々な過去や未来を包括した今を、今ここで経験することができるのが、演劇なのである。〉

 

 地元の新聞によると、「出演する地元市民8人は、柳さんがパーソナリティーを担当していたラジオ番組にゲストで出演していた人々で、さまざまな背景を持つ人たちだ。その地元市民たちの記憶を演じるのは、柳さんとゆかりのある、「青年団」をはじめとする東京で活動する役者。この公演のため同市に住み込み、地元の人と話し、地元の人の記憶の場所に足を運ぶなど、役作りを続けている。」と述べる。(いわき経済新聞2018.10.11より)

 

 著者は柳さんであるが、本書に書き出した台詞は、登場された被災者が著者に語ったことがベースになっていると思われる。元々はある「事実」から生まれている。しかし作品の構成によって、あるいは演出によって、事実は事実らしさを離れていくというか歪んでくるだろう。しかし、事実を離れるほど、そのセリフはある真実味を帯びていくような気がする。

 さらに、被災者の数多の人びとの声なき声が重なり、この作品で語られた言葉は、語られなかった言葉にも逆説的に光を当てると思われる。

 

 私は再度福島に行き現地を見て、いわき市に在住している親しくしている友人夫妻からそのときの話を伺っていた。旦那は水産関連の仕事に携わっていて、港の近くからようやく逃げ帰ったという。その後会社は営業できなくなり、しばらく救援活動をしていた。奥さんは教育関連の仕事をしていて、子どもたちの様子など、当事者ならではのしみじみとした迫力を感じながら聞いていた。

 

 一度ざっと読んで、次に上演舞台を想定して、時折セリフのところ声を出しながら読んでみた。なかでも、高橋美加子さんの短歌は何度も読み返ししていた。

 

・荒れ田より嘆きの呻き聞こえくる水うるわしき青田よもどれ

・ふるさとを返せと叫びたくなりて外に出ずれば満天の星

・こみあげる怒りを内に留めおれば五臓六腑は静かに腐る

・ごおごおと荒れ田をなぶり風がゆく空はどこまでもつきぬけて青

・石を持ち投げんとすればその先は螺旋階段わが身に戻る

・こしかたもゆくすえもなしあるはただまわりてめぐるいまのつらなり

 

 出演者でもある高橋美加子さんは、震災直後HPから「南相馬からの便り」を発表していて、その短歌は「南相馬短歌会あんだんて」の合同歌集や各方面でしばしば紹介されていた。

 次の個所も詰まりながら読み返ししていた。

 

〈男優B(渡部英夫の記憶):日にちは、ぜんぜんわかんねぇんだ。三月十一日から、おれの頭の中では、カレンダー消えてっから、自分の重機を海に持って行って、瓦礫どかして、萱浜から雫まで通れるようにした-----ご遺体もな、実家の方だからみんな顔見知りなんだ-----最初に見つけた人はニコットしてたな-----女の人だ-----女の人-----手袋とマスクしてたんだけど、その人の顔見た途端、手袋捨てて、マスク捨てて、素手でこうやってな(顔にかかった泥だらけの髪を指でのける)-----なんだか-----なんていうんだ? 海の底のヘドロみたいな、廃油みたいもんが顔中にべったりくっついててな-----水はポリ容器で持って来てたから、頭持ち上げて、水で流してきれいにしてな-----きれいにって言っても、きれいにはなんねぇんだけど、せいいっぱいきれいにして、道路に寝かして、次の人を捜索するわけだ。〉

 

 地元(南相馬市原町区の萱浜出身)で暮らす渡部英夫さんは、相馬流れ山の上手な歌い手で、地元ではよく知られているそうだ。

 

※柳美里著『町の形見』(河出書房新社、2018)

「参照」・【福島民報】『町の形見』柳さんが描いた悲しみ。(2018年11月30日 )

 先月十六日、作家柳美里さんが二十四年ぶりに書き下ろした戯曲「町の形見」の公演を、南相馬市小高区にある柳さんの小劇場で見た。二十二日にはこの作品を収めた戯曲集が河出書房新社から出版された。ページをめくって記憶を確かめながら、震災と原発事故を経験した土地で、芝居という表現だからこそ感じることができた不思議な高揚を思い出している。

 東京の若手俳優七人のほかに地元の七十代の住民八人が「話者」という立場で出演した。芝居はいつの間にか始まった。話者は自分の分身である俳優を聞き役に自身の来し方を語る。演劇に夢中になった高校時代があった。友と、ぎりぎりの生を共有した瞬間があった。前が見えなくなってしまいそうな時に出会った伴侶の情熱があった。

 客席の最前列にいた人がするすると舞台に出て、話者となって語り始める。客席にいた演出家役の俳優から突然、指示が飛ぶ。少しの笑いと涙のうちに客席と舞台の境界はいつしかあいまいになる。そうして積み重ねられてきた日常を断ち切ったのが震災と原発事故だ。地元の観客は自らの体験のような錯覚の中、劇空間に引き込まれていった。

 柳さんは三年半前に南相馬市に移住する前から、地元ラジオで六百人もの被災住民にインタビューしてきた。その経験があるからこそ、話者一人一人が抱える悲しみや悔しさ、いとおしい自分だけの記憶を引き出すことができたのだろう。被災地で表現されるべき必然が、柳美里という存在によって形になった。

 同時に思いが及ぶのは、被災地の誰にもかけがえのない瞬間があり、多くの悲しみとともに表現されないまま消えていくであろうことだ。

 小高で「町の形見」が上演された同じ週、東京地裁では原発事故を巡り業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣三人の被告人質問が行われ、いずれも責任を否定した。一人は「ご迷惑を掛けた」という言葉で謝罪した。

 「町の形見」では話者の一人の短歌が読み上げられる。

 ・ふるさとを返せと叫びたくなりて外に出ずれば満天の星

 ・こみあげる怒りを内に留めおれば五臓六腑[ろっぷ]は静かに腐る

 東電のさまざまな言葉と、被災地で空を見上げた人々の絶望とのあまりに大きな断絶に慄然[りつぜん]としてしまう。「町の形見」の東京公演を願うが、難しいかもしれない。それならば来年、新装される小高の小劇場で再演してほしい。多くの人があの土地に来て、見ることに意味があるはずだ。(佐久間順)(福島民報2018年11月30日 )