日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎日々彦「詩句ノート」、照井翠の講演

※東日本大震災は、文芸の各分野に、それを語る表現についての様々な課題をもたらし。俳句関係者(誌)も度々そのことを取りあげている。また、いろいろな体験や関心から多様な俳句が数多く生み出されている。

 東日本大震災に関しては、高野ムツオ氏や照井翠が随時意欲的な俳句を詠み、ブログ「ひこばえの記」でも、2016-03-19日に照井翠句集『竜宮』を取り上げた。・

 時事や厄難を詠むに不向きといわれてきた最短詩型の俳句に、むしろ可能性を感じている他分野の人たちもでてきている。趣味の範囲を出ない私にも、俳句はこんな風に詠むことで、深いものを表現することができるのかと、改めて感じている。

 

〇2018年11月23日、俳句の未来を考える「HAIKU+」の第2回が、神奈川近代文学館で開催され、照井翠さんがテーマ「俳句の虚実 ―東日本大震災を詠み続けて―」との講演をおこなったことが「きごさいBASE」(2018年12月6日)に紹介された。

 内容は〈講演では、震災に、自分に、そして俳句に、どう向き合ってきたのか。俳句における「虚」の意味とは。この不条理な時代に俳句(文学)が担う役割とは。〉とある。

 

 その中から照井さんがまとめた要旨の一部を抜粋する。

〇俳句の虚実 東日本大震災を詠み続けて 照井翠

4 東日本大震災 釜石を詠む

 釜石で東日本大震災に遭遇した。極限状況の中、不安な日々を支えてくれたのが俳句だった。虚の側に身を置き、現実と向き合っていた。生な表現や剥き出しの観念語を用いた俳句が多い。

・句集『龍宮』より。

「喪へばうしなふほどに降る雪よ」

「泥の底繭のごとくに嬰と母」

「双子なら同じ死顔桃の花」

「春の星こんなに人が死んだのか」

「春昼の冷蔵庫より黒き汁」

「唇を噛み切りて咲く椿かな」

「撫子のしら骨となり帰りけり」

「初螢やうやく逢ひに来てくれた」

「鰯雲声にならざるこゑのあり」

「寒昴たれも誰かのただひとり」

「虹の骨泥の中より拾ひけり」

 

5 震災後の俳句(時の経過、意識の変容、震災体験の捉え直し)

 震災体験の内面化・深化を試みている。思索の沈潜化、詩としての昇華が大事だと思う。

・『龍宮』以後の俳句より。

「三月を喪ひつづく砂時計」

「螢や握りしめゐて喪ふ手」

「霧がなあ霧が海這ひ魂呼ぶよ」

「降りつづくこのしら雪も泥なりき」

「別々に流されて逢ふ天の川」

「寄するもの容るるが湾よ春の雪」

「まだ立ち直れないのか 三月来」

「三・一一みちのく今も穢土辺土」

 

※参照「きごさいBASE」(2018年12月6日) http://kigosai.main.jp/?p=30927

 

〇2019年四季折々(1月28日~2月3日)

(28日)・星冴ゆる心の宇宙のひとり旅

 小説、詩歌などの虚構による文学作品は、容易に言語化・論理化できない混沌とした状況や個人の情念を、言葉で構築せざるを得ないところに難しさがあり、面白さがあると思う。

 読む側としては、想像力を駆使しながら、語られていない部分、言葉の裏にある部分を読みとりながら、共に作っていくという醍醐味がある。

 それは、およそ31文字の短歌、17文字の俳句の短詩系の制約にしたがって、詠む方、読む方ともに想像の楽しみがあると思っている。

 

(29日)・耳すます心の中の細雪

 平成30年度第20回NHK全国短歌大会受賞作品から印象に残った作品。

・「天からの授かりものであるきみはまだ人よりも雲に似ている」

(小島ゆかり選、埼玉 関根裕治)大会大賞に選ばれる。

・「避難所のどこに置くのか通信簿見せたい母のいないその子は」

(永田和宏選、宮城 阿部みゆき)

 近藤芳美賞 「空のたまゆら」(岡山 平尾三枝子74 歳)から。

・「不条理も条理も丸ごとこの世なり土手に赤白曼珠沙華の群」

・「幾重にもかさなる雲の間より射し入る光を希望と呼ばむ」

 

(30日)・見ることは見られることや冬霞

 今日は眼科医で診察を受け、緑内障・眼圧用の目薬をもらう。

両目0.1の近眼だったが、一昨年5月白内障手術して、手術後すぐ裸眼0.8で、こんなにハッキリ見えるのだなと少し驚くが、今は両裸眼0.5ぐらいで、眼鏡なしで、日常生活やある程度本を読むには差し支えない。

 白内障は、眼の中のレンズの役割をする水晶体が濁ってしまう症状で加齢に伴って発生する場合が最も一般的で、早ければ40歳から発症し、80歳を超えるとほとんどの人が何等かの白内障の状態にあるといわれている。そのことから、自覚症状があるなしに関わらず、身体内のあちこちが汚れているのではないかと思う。レンズの工業技術などの発達により手術は簡単。これにも少し驚く。

 

(31日)・夢太き人と大地と冬の虹

I氏のFacebook掲載の素晴らしい写真があり、それから連想した俳句を練習も兼ねて詠んでいる。出来はともかく楽しみである。

 20歳代後半二年間ほど北海道別海町で酪農に従事していた。どこかに遊びに行くことは少なかったが、そこの人、牛との暮らしや風土はどっしり自分のなかにある。I氏の数々の写真から、その息吹を思い出すことも少なからずある。

 

(2月1日)・二月に入る寒さの底の大日輪

 二月は面白い月である。ときによって春を感じ、冬を感じるときもある。神戸では、昨日は雨で肌寒くどんよりしていて、今日は晴れていて風は強く寒いが明るい感じがする。

 俳句では三日まで冬、それを過ぎると春になる。実際の暦と季語のずれはあるが、よく晴れた日や光の強さに、体感そのものは寒いが気分的には春を感じるときもある今日このころである。

 

(2日)・七転び八起きの職場春近し

 友人のTさんが「イノベーション大学」の企画に参加した報告がFacebookにあった。当日のお題は「働き方」で、講師は「生きる職場」の著者・武藤北斗さん。

 以前その本を友人のKさんから贈っていたたき、いろいろ示唆されるものがあった。

 武藤北斗『生きる職場 ―小さなエビ工場の人を縛らない働き方』(イースト・プレス、2017 )の内容紹介は次のようになっている。

〈2011年3月11日東日本大震災。石巻のエビ工場と店舗は津波ですべて流された。追い打ちをかけるような福島第一原発事故。ジレンマのなか工場の大阪移転を決意する。債務総額1億4000万円からの再起。

 人の生死を目の前にして考えたのは、「生きる」「死ぬ」「育てる」などシンプルなこと。そしてそれを支える「働く」ということ。自分も従業員も生きるための職場で苦しんではいないだろうか。そんななかで考え出したのが「フリースケジュール」という自分の生活を大事にした働き方。好きな日に出勤でき、欠勤を会社へ連絡する必要もない。そもそも当日欠勤という概念すらない。これは、「縛り」「疑い」「争う」ことに抗い始めた小さなエビ工場の新しい働き方への挑戦の記録。〉

 上記の経過が丁寧に記録してある本と感じ、私は主に次のことを思った。

・石巻で著者の両親が立ち上げた「パプアニューギニア海産」で、関わった人たちに支えられて大阪移転の営業が再開するようになる。そこには生産者と消費者という間柄を超えた交流がされていた。

・パプアニューギニアと海を超えたつながりは、国と国という行政的なものではなく、著者の父親の、よいものを産み出したいとの願いからする、個人的なつながりであった。

・多額の債務を抱えての大阪移転後の再起は順調なものではなく、失敗・間違い・後悔の試行錯誤を重ねての日々であった。その中から著者が目指す「居心地のいい会社」への願いがあり、それに応じてくれる従業員の取組で、今のような職場になってきたのではなかろうか。

※「パプアニューギニア海産」  http://pngebi.greenwebs.net/

(3日)・記憶に残るひとりひとりへ福は内

 その投稿記事から、25年ほど前、T君や私がいた職場のことや、その頃の仲間のことなどの話題のコメントの交信が続いた。

 その頃職場で一緒だった学園高等部にいた若者たち、そのうち交流があるのは二人だが他の人はどうしているのだろうか、と気にかかるとともに薄らと懐かしさを覚えた。

 特殊な形態の学育方式のもとで過ごした子どもたちを見ていて、学園の同期生や仲間たちとの関係は、親密なものがあり、同じ釜の飯を食ったというような半端なものでない深さを感じることも多い。仲間たちで切磋琢磨しあいながら、ときには助け合い、ときには言い争いしながら育ってきたのだろう。

 私から見るとその学育方式はとてもお粗末だったと思っているが、その中で、その後の経過で、どのような育ちが展開したのか? ひとりひとり違いはあるだろうが、みな健やかであること祈っている。