日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎日々彦「詩句ノート」、『悲傷と鎮魂 阪神大震災を詠む』

※1995年1月17日、淡路島付近を震源とする阪神淡路大地震は数多くの人命を奪い、建造物等の被害は莫大なものとなった。

 この巨大地震は「豊か」といわれてきた私たちの社会や暮らしが、決して堅固なものではなく、いつ崩落するか分からない。もろくはかないということを教えてくれたともいえる。被災地の人々を襲った運命はまた明日の私たちのそれでもあると思う。

『悲傷と鎮魂 阪神大震災を詠む』は、現代を代表する歌人俳人詩人に詠まれた作品をご寄稿願い、単行本として緊急に出版することにした。(斎藤慎爾「編集の余白に」より」

 現代を代表する歌人、俳人、詩人、作家297名が阪神大震災で亡くなった人々、廃墟となった故郷への哀悼を新生への祈願をこめて寄稿した、鎮魂の紙碑である。

 ここから、印象に残った俳句を選んだ。(2句は他から挙げた)

 

〇『悲傷と鎮魂 阪神大震災を詠む』から

・倒・裂・破・崩・礫の街寒雀 友岡子郷

・日々余震日々紅玉の林檎届き 友岡子郷

・寒暁や神の一撃もて明くる 和田悟朗

・永劫の途中に生きて花を見る 和田悟朗

・枯れ草や大孤独居士ここに居る 永田耕衣

・白梅や天没地没虚空没  永田耕衣

・子郷・悟朗・耕衣老冬いかにいかに 宮坂静生

・烈震のあとひたむきに梅開く 瀬戸内寂聴

・半世紀戦後の春のみな虚し 瀬戸内寂聴

・生きてゆく声交わしつつのつぺ汁 赤尾恵以

・寒暁や生きてゐし声身を出づる 桂信子

・焼跡に生き抜く焚火太く焚く 大串章

・震災のおのが家財を焚火とし 檜紀代

・地震の地も芽吹きかくやと信じけり 仁藤壺天

・地震に根を痛めし並木下萌ゆる 稲畑汀子

・焼け跡に水仙芽吹く天指して 吉村公三郎

・凍蝶のあかとき地震の炎かな 柚木紀子

・マスクして即死の額囲みたる 宇多喜代子

・冬銀河高速道路墜ちゆけり 杉本雷造

・国ひとつ叩き潰して寒のなゐ 安東次男

 

※参照・『悲傷と鎮魂 阪神大震災を詠む』(朝日出版社、1995)

 

〇2019年四季折々(1月14日~20日)

(14日)・成人の日ともに華やぐ親子かな  

 特殊な共同体(村)で生まれ育った娘が20歳になった時、学園同期の子10人ほどで手作りの成人のお祝いを企画し、そこに招かれていた。知り合いの写真家、美容師も呼んで、賑やかな晴れやかな艶やかなもので、ある感慨を抱いた。その娘が出産したばかりの孫を見ていると、20年後どのように成長しているのだろうと思うが、果たしてそれまで生きているのか心もとない。私と同年齢の友人は、孫が成人式を迎えたという。

 

(15日)・結婚よりも夫婦が好きや福寿草

 70歳を過ぎた私たちや高齢年代の友人夫婦を見ていて、しばしば老夫婦のあり方を考えるようになる。生まれも育った環境も異なる同士が、何らかの機縁で共に暮らすようになり、長年の間にはお互いの長所・短所、いいところ・気になるところなどいろいろあり、認知の衰えや大病などにより、どちらかに相当の負担がかかってきたときにどのようになっていくのだろうと思う。いずれにしても、天野忠の詩のように、澄んだ視線で生きる喜びとユーモアの精神を外さず生きていきたいと思っている。

 

(16日)・(稀勢の里引退す)一片の悔いも残さず冬尽くや

 横綱稀勢の里(32)が引退する。引退会見の発言、表情から、土俵人生を力いっぱい誠実にやり尽くしたという姿勢をみた。今場所の負け方を見ていて、もういいのではないかと思っていた。お疲れ様。今後、後進の指導へ。

(発言から)「このまま潔く引退するか、いつも稽古場で自問自答していた。応援してくれる方のために相撲は続けようと判断してやってきたが、このような結果になって申し訳ない」

「徐々に良くなってきたが、けがをする前の自分に戻ることはできなかったが、(今場所は)これで駄目ならという気持ちがあるぐらい、良い稽古をしてきた」

「本当にいろいろな人に支えられ、1人ではここまで来られなかったと思いますし、感謝の気持ちでいっぱいです」

「横綱として皆様の期待に添えられないということは、非常に悔いは残りますが、わたしの土俵人生に一片の悔いもございません」

 

(17日)・阪神震災忌記憶の熾火耿耿と

 阪神淡路大震災1.17のつどい、震災で大きな被害を受けた地域を歩き、当時に思いをはせる「1・17ひょうごメモリアルウォーク」に参加。

 発生から24年となる阪神淡路大震災の追悼行事を取りやめる動きが、兵庫県内で相次いでいるそうだ。背景には被災者の高齢化による身体的負担が進んだこともあり、行事の減少傾向は近年続いていて、関係者からは「震災の風化につながる」と懸念する声も上がっている。借り上げ復興住宅や被災者生活再建支援法の拡充など課題は山積しているが。

 記憶には、観念的な色合いが強いものと、身体にしみ込んでいるのとの違いがあるように思う。河瀬直美『沙羅双樹』のセリフに「忘れていいことと、忘れたらあかんことと、それから忘れなあかんこと」とあるが、行事として風化していこうが、ある人にとっては「忘れられない、忘れてはあかん体験」として思い、語り続けていくように思う。一人ひとり、その人ならではの阪神震災忌になっていくのだろう。

 

(18日)・言の葉に添える光の歌はじめ   

「贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」(天皇陛下)

 2019年の「光」が題の歌会始で詠まれた御製は、宮内庁によると、平成十七年に阪神・淡路大震災十周年追悼式典のため兵庫県を訪問された際、懇談した遺族代表の少女から、鎮魂と復興の象徴として育て増やした「はるかのひまわり」の種子を贈られた。両陛下はこの種を 御所のお庭にお播きになり、翌年以降も毎年、花の咲いた後の種を採り育て続けてこられたそうだ。

「国民に寄り添う、平和を守るとの思いが一貫している両陛下にとって、『象徴』として、被災地へは『行く』だけではなく、『思い続ける』というのが両陛下の寄り添い方だ。」と歌会始の選者の永田和宏氏はいう。(神戸新聞17日朝刊より)

 

(19日)・眠る山マグマ溜まりを懐きつつ

 昨年物議をかもした「LGBTは生産性がない」という議員の発言は相模原の障害者施設事件の植松被告の「生産性のない人間は生きる価値がない」など時折なされている。生産性のある・なしで人の評価をすることは酷いことだと思う。

 生産性があるというのは「やる」「やれる」ことに価値をおく見方だ。それに対して吉本隆明は『家族のゆくえ』のなかで次のようにいう。

〈普通、「やる」ことは「考える」ことより大切だとおもわれがちだが、わたしはそんなことは信じていない。(中略)じっさい、からだを動かさなければダメだということはない。そうではなくて、考えることを構想する人が過半数を超えれば考えただけでも変わるのだ、この世界もこの国家も。〉

 やることも考えることも、何をどのようにするかが要となるが、さらに問い続けることが大事だと思っている。

 

(20日)・夕暮れの空き地に凛と冬の草

 ひょんなことから、足元をひねって転び、顔・手など怪我をする。居宅に帰りドクダミの薬液で消毒し、患部に止血に効果があるといわれるヨモギをつける。大事には至らなかったようである。

 ドクダミの薬液は、6月過ぎにとってきて簡単に洗ってから40°以上のホワイトリキュールにつけたもの。わが家では切り傷や足、皮膚のトラブルなどに何かと使っていて、薬効はかなりあると思っている。一昨年に、友人宅の近辺から一緒に収穫したものを使っている。

 ドクダミは強烈なニオイと強い繁殖力から疎んじられているらしいが、昔から外用の万能薬として使われていて、薬効が多いことから十薬の名がついた。