日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎子どもたちが育つあたたかい社会へ

 〇先日Facebookに「子どもの育ちを描いたドキュメンタリー映画から」を紹介した。

 映画は、「子どもの貧困問題」がクローズアップされている社会の現状をまずは知り、社会問題として考え、今、生きづらさを感じている子どもも大人も、誰もが幸せに暮らせる社会、誰もが尊重される社会を考えるという趣旨で開催された『いのちとくらしの映画祭with湯浅誠』の一環として上映された。

 

 この映画の紹介をFacebookに投稿したとき、パプアニューギニアにお住いのKさんからいろいろ考えさせられる次のようなコメントをいただいた。

 内容の一部を要約すると次のようになるかと思う。

「こちらでは、親のいない子は誰かしら受け入れてくれます。親兄弟、親戚、近所の人など。婚姻をしていない片親とか、出産時に母親が亡くなるなど、何らかの事情で里子に出されるなど産みの親からは別れる人が周りに多いようです。

 また、子どもが欲しいのに出来なかった夫婦もいるので、そういうところでも里子として大事に育てられている。

 血縁も越えて育てられている子も見ると、社会の子という視点もあるのかな? とも思えます。

 日本とはお国柄、文化、歴史も違い、同じようにはいきませんが。こちらでは同郷意識がまだまだ濃いので同郷人は家族のようです。困った時の同郷人です。こちらの言葉で「ワントック」と言います。

 私の生まれ育ったのは日本なので、その現状をみると複雑に思います。日本の実家のことを思っても他人事ではないですね。家庭の問題は玄関を越えず内輪で思い悩んでいる感もありますね。あたたかい社会になってほしいわ。」

 

 この時上映された、映画『隣(とな)る人』は「私の全存在を受け止めて!」と不安の中で揺れ動き続ける子どもたち。自らの信念とその重さに格闘しながらも、子どもに寄り添い続けようとする保育士たち。離れて暮らす子どもとふたたび生活できるようになることを願い人生を修復しようともがく実の親など、生命力に溢れる人々の姿が瑞々しく描かれた。

 

 この映画を鑑賞した精神科医の香山リカさんは次のコメントを寄せている。

〈「子育ては母の手で」。この言葉が、育児に専念できない多くの母たちをどんなに呪縛し、苦しめてきたことか。

そして、そう強制された結果、不安を抱え、自分を否定し、苛立ちや怒りが目の前の子どもに向けられるケースも少なくない。

この作品に描かれているのは主に子どもと母以外の保育者だが、私たちはその背後に、追い詰められた日本の母親たちの姿を見ることもできるはずだ。〉

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 日本の現状をみると、育児に限らず、親の介護など家族で見るのが当たり前という思いが根強い。

 

 2000年4月から、介護保険制度を設け、これまで主に家族が担ってきた寝たきりや認知症などで介護が必要な高齢者について、社会保険の仕組みによって社会全体で支える制度であるが、18年たった今でも、老々介護をはじめ、家族で悩みや困難を抱えているケースも多い。

 児童福祉法は、「児童の心身の健全な成長、生活の保障、愛護を理念として、その目的達成のために必要な諸制度を定めた法律で、2016年の「改正児童福祉法」では、子どもの貧困、児童虐待などの現状を受けて、「家庭と同様の環境における養育の推進」など謳われ、「母子健康包括支援センター」の全国展開、市町村及び児童相談所の体制の強化、児童養護施設の充実、里親委託の推進等の措置が講じられた。

 

 最近東京港区の南青山に児童相談所が建設されることに対して、一部の住民たちが反対の声を上げているという報道がされていて、こういうのに触れると悲しくなってくる。

 いろいろな事情で子どもを育てていくことが難しい家族もいるだろうし、支援センターや児童相談所の充実、および里親委託、家庭的な養護施設などが大事になってくる。

 

 わたしの知人に、熊本の赤ちゃんポストから乳児を引き取り、何年か一緒に暮らし可愛さが増したころ、里親となる人に引き渡すことになり、それまで育つ過程の話や写真を見せていただいたことがある。そのような里親活動をしているグループがあり、兵庫県でも、そのような研修をしている市もある。しかし、まだまだあまり知られていない現状だと思う。

 

 何かあると、「自己責任」で自業自得だというような声の出てくることも多いが、同様に「家族責任」というか家族で何とかしたらいいとかと思う人も少なからずいるだろう。

 また、家族構成員の中に問題児がいると、どうしても家族に負担がいきがちになるが、やはり、そのようなことの相談の仕組みも必要だし、何かあったら助けたい融通したいと思う周りの人の存在、支援も大きいと思う。とにかく家族にだけ責任を押し付けることはなくしていきたい。

 いくら高邁な理念、そこから生み出される法律や制度が講じられようが、それを推進するのは、一人ひとりの地域住民の精神であり、その相乗積で課題に立ち向かえると思う。 

 ひとりひとりおのれの得手については、人の分までやってあげて、代わりに不得手なことはそれが得意な人にやってもらう。

 同様に、家族だけで困難を抱えるのではなく、そこに手を差し伸べることができる人たちと共に対処していく。この相互扶助こそが共に暮らす人々の基礎となるべきだと思っている。

 

参照:・隣る人 http://www.tonaru-hito.com/sakuhin.html

・「児童養護施設 光の子どもの家」ホームページwww.hikarinokodomonoie.com/