日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎乳幼児の知覚発達から「心の世界」へ

 娘の出産後、妻は3週間ほど家事支援に入る。乳児の風呂入れをするたびに、その子の身体が逞しくなっていくのを感じるそうだ。左手で頭を支え、右手で体を洗うのだが、日に日にどっしり感が伝わり、ときおり足をける動作もあり、出産時2800余の体重の増加が500~1000gほど増えて、ぐっと重さを覚え、より緊張するようになったという。

 妻はわたしに比べかなり体は動くが、70歳過ぎての家事支援は大層堪えたそうだ。

 

 近来の「赤ちゃん学」の研究で、生まれた直後からさまざまな能力が成長し、新生児は、ほとんど目をつむっているが、視力も0.01~0.02ほどあり、脳の未熟な状態もあり、認識はおぼろだと思うが、顔などに反応を示すそうだ。10日ほどしたとき向かい合う機会があったが、こちらをじっと見ているような気がした。

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〇乳幼児の「心の世界」の成長に大いに関係するするだろう知覚の発達に関して、関心を寄せている鈴木秀男『幼時体験』から取り上げてみる。

 

〈新生児は、最初、反射的に乳を吸い始める(吸飲反射)にしても、毎日何回となく吸乳を繰り返している間に、自分と母親との関係をしだいに了解するようになってゆく。いいかえると、吸乳をとおして、自分と母親とを結びつける意識、すなわち最初の関係意識が分化してゆくということである。しかも吸乳は、単なる接触ではなく、生命の維持に不可欠な食物をとるための行為であり、それがそのまま母親を確かめる行為になっているところに、重要な意味がかくされているのである。〉(p86)

 

 生まれてから、ある種の感覚は働いているだろうが、それを何かと結び付けること、あるいは意識化するには、同じような体験の積み重ねと、脳機能の成長が欠かせない。

 五感の中で大きな役割をなす視覚は、それまで漠然と眼でとらえていたことを、繰り返しと「脳」の成長にともなって、意識しやがて認識するのだろう。それはさまざま説があり、その子の状態によるが、ほぼ生後2か月後ぐらいとする見方が多い、授乳に伴ってまず母親の乳房が、次いでその顔が視覚に入ってくる。もちろんそれもはじめは単なる像にしか過ぎないが、くり返しによって次第にその切実な意味が了解されるのだろう。

 

〈子どもは母親を視覚によってとらえることができるようになると、母親との関係にある変化が起こってくる。子どもは最初、直接触れることによって母親を確かめて安堵を覚えるのだが、視覚が加わってくると、その姿を見ただけで安心するようになる。つまり、子どもは母親から空間的にすこし離れても不安を持たなくなるのである。それは、子どもが母親とある距離をとることができるようになるということで、それ自体母親からの独立の開始を意味している。この、最初の直接接触の段階で母親に不安を持った子どもは、母親に距離を置くことができず、いつまでも直設接触の関係に固執すると考えられる。〉(p94)

 

 視覚の発達により、母親との関係が密接になり、やがてある変化が起こってくる。そしてもっとも遅れて発達するといわれている聴覚は、その対象である音を、じかに触れてみることも、眼で見ることもできないので、人間の知覚の中でいちばん高度な関係意識を必要とするという

 

〈抱かれて乳を吸いながら聞く母親の声、あるいは、眼の前で自分に語りかける母親の声というように、母親とその声とを結びつけられるようになるまでには、触覚や視覚による確認が何回も繰り返される。その点からいえば、直接触れてみることも、眼で見ることもできない音というものは、知覚の対象としてはもっともとらえにくいものなのである。そして聴覚においても、視覚のばあいと同じように、母親の声をほんとうに聞き分けられるようになってから、それ以外の音をとらえられるようになるのである。〉(p97)

 

 この知覚の発達から、ひとの「心の世界」へと考察は展開する。

〈人間の「心の世界」というものは、自分自身を含めた対象を、どこまでも正確にとらえられるように発達していくものと仮定すると、わたしたちが絵や彫刻を眺めるときにある距離をとる必要があるのと同じように、対象に対して空間的な距離を取ることを覚えなければならない。したがって、子どもが視覚や聴覚によって母親をとらえられるようになることは、その最初の体験だといえよう。そのばあい、母子関係がどれくらい安定したものであるかによって、母親とどれだけ距離をとれるかが決まるのである。母親からすこし離れただけでも「置き去り」にされるのではないかという不安を克服できず、母親との空間的な距離をとることができない子どもは、自分を含めたすべての対象にたいして、距離をとれないまま成長することになる。〉(p98)

 

 ひとの成長の基盤づくりに、3~4歳の時期がかなり重要となるという見解は、発達心理学などの専門家に限らず、そのようにみる人も多いのではないか。

 マズローの欲求5段階説を発展、修正を加えた、アルダファによるERG理論は、人間の欲求を、生存欲求・関係欲求・成長欲求の3つに分類する。

 関係欲求とは、他人との良好な関係にまつわる欲求をさす。関係欲求の重要性を唱えた脳型コンピューターの先駆者・松本元は次のようにいう。

 

〈人は集団として生きる動物であり、集団の中で生活し、行動する社会的な動物として進化してきた。いってみれば、われわれは他の人と関わることによってのみ生きることができるのである。そのためわれわれには、生まれつき人との関わりを求めようとする関係欲求が、遺伝的ともいえるようなものとして備わっているのではないかと考える。この関係欲求が充足されないと、たとえ生理的欲求がよく充足されていても脳活性は上がらない。

……脳にとっての最大の価値、そして活性化のもとは、関係欲求の充足であり、それは愛という概念で表現されるものなのである」(『愛は脳を活性化する』)〉

 

 乳幼児期の母親はむろん、身近な人との関係による、信頼感、安心感の構築は、その後の人生の基盤になるのではないだろうか。

 

参照・鈴木秀男「幼時体験」(北洋社、1979)

  ・松本元『愛は脳を活性化する』(岩波科学ライブラリー 、1996)