日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎「いのち受け吾子は花野をかけめぐる」

 娘の妊娠中に、生まれてくる子の名前をどうしようかと話題になったことがある。10月出産予定なので、女の子だったら俳句で秋の季語となっている「花野」で〈かの〉とよんではどうだろうかと言ったところ、娘も気にいったようで、そのように名付けた。

 

「花野」は秋の草花が色とりどりに咲き乱れる広々とした野をいう。

 平安時代から詩歌に使われているそうで、次のような歌・句が思い浮かぶ。

・天渺々笑いたくなりし花野かな(渡辺水巴)

・神の子の地に低く飛ぶ花野かな(正岡子規)

・なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな(与謝野晶子)

 

 病院併設の養護学校に携わったとき、まず、一人ひとりの名前、顔や身体状態をつかむことからはじまった。介護を仕事にしていたときもそこからはじまる。

 名前は記号にすぎないが、あの子、あの人ととらえるよりも、生身のその人に、より近づいていくような気がする。

 最近は犬や猫を家族と位置づける人たちも増えている。友人の飼い犬に「ころ」と名付け親しんでいるのを見ると、いのちの息吹を感じ、いいものだなと思うことがあった。

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〇鶴見俊輔などによる共著『いま家族とは』(岩波、1999)に収められた「その他の関係」の表題で、耕治人『そうかもしれない』にふれた文章で、鶴見は次のようにいう。

 

〈自分が、やがては家族にとっても「見知らぬ人」となる。そして「物」となって終わる。物になれば、宇宙のさまざまなものと一体になるので、そんなに寂しいわけではないんですよ。存在との一体を回復するわけですね。

 どんな人でも、家のなかでは有名人なんです。赤ん坊として生まれて、名前をつけられて、有名な人なんですよ。たいへんに有名です。家のなかで無名な人っていないです。それは、たいへんな満足感を与えるんです。私は、人間がそれ以上の有名を求めるのは間違いではないかと思いますね。そのときの「有名」が自分にとって大切なもので、この財産は大切にしようと思うことが重大なんじゃないですか。(中略)

 自分は、かって家のなかで有名な「者」であった、その記憶を大切にする。そして、やがて自分は「物」となって、家族の者にとってさえ見知らぬ存在になっていくという覚悟をして、そして物としての連帯に向かってゆっくりと歩いていくという覚悟をもって、家を一つの過度期として通り抜ける。それが重要じゃないんでしょうか。〉

 

 耕治人『そうかもしれない』は、作家の実生活をもとに描かれた作品である。

 お互いに80歳を過ぎ、50余年連れ添った妻が脳軟化症で特別養護老人ホームに入所。介護していた「私」も喉頭がんになり入院する。

 のち、老人性痴呆症の症状がさらに進んだ妻は、もはや「私」を夫と識別できなくなっている。妻が付き添いの人に連れられて車椅子で夫の病院に面会に来たとき、付き添いの人に、「この人は誰ですか」とか、「このかたはご主人ですよ」などいわれたが、返事をしなかった。何度日かに「ご主人ですよ」と言われたとき、「そうかもしれない」と低いが、はっきりした声で応える。

 そのとき戸惑いを覚えた「私」の心を占めるのは、「家内と一緒になって五十年、なに一つ亭主らしいことをしていなかった」という悔恨の情であり、結婚以来困難に対して常に「逃げ腰」だった「私」を批難するどころか黙って矢面に立ちつづけた妻に対する尊敬の念である。

 作家本人もがんで入院し、妻よりも先に81歳で死去。この作品が絶筆となる。

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 鶴見のこの一節から次のことを思う。

「その他の関係」に包まれて「私」の成長は成り立っている。

「通り抜けるものとしての家族」のなかで、子どもは有名人として育まれていく。

「老い」を迎え、やがて「物」となって、宇宙に包まれていく。

 

参照・鶴見俊輔・春日キスヨ・徳永進・浜田晋『いま家族とは』(岩波書店、1999 )

  ・耕 治人『そうかもしれない』(晶文社、2007)