日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎人の「弱さ」に焦点をあてることで見えるもの

〇人は根本的に”弱い“生き物

 NHKスペシャル「人類誕生」第 1 集「こうしてヒトが生まれた」は、次のように構成されていた。

 霊長類から人類誕生の過程で、二足歩行‐道具の発明‐脳の発達、と身体の進化に相伴って、最近の研究成果から、家族の形成・一夫一妻‐仲間と協力する集団・連帯感‐心の進化・共感力‐好奇心が、過酷な自然条件の中で生き延びてきた大きな要因であるとする見方で展開されていた

 

 第2集「最強ライバルとの出会い そして別れ」は次のように構成されていた。

 霊長類から人類誕生の過程で、現在の人間につながるホモ・サピエンスとネアンデルタール人の出会いと共存がテーマになっていた。屈強なネアンデルタール人が絶滅したことに対して、華奢なホモ・サピエンスが現在につながっていったのは、「実はその弱さにこそあったと考えられている。弱いからこそ、安全な狩りを行うことができる道具を生み出し、仲間同士で力を合わせる「協力」を高めたのだ。そうして人口を増やしていったことで、脳の進化が促され、ホモ・サピエンスは全く新たな力「想像力」を獲得したと考えられている。」と紹介されていた。

参照:http://www.nhk.or.jp/special/jinrui/archive.html#onair2

 

「その“弱さ”が人類の進化を促してきたと考えられている」ところに、何かしら共鳴するものを感じた。

 

 以前にブログ「高齢社会に思うこと」に、エリック・ホッファーの「病弱者や障害者、老齢者に対する思いやりがなければ、文化も文明も存在しなかっただろう。」との一説を取り上げたことがある。

 

〈・「思いやり」:37人間は「この世の弱きもの」として生まれたが、「力あるものを辱めるため」に進化した。そして人間という種においては、弱者は往々にして生き残るだけでなく、強者に打ち勝つための能力と装置を開発している。実際、人類の驚異は、弱者の生き残りに由来する。病弱者や障害者、老齢者に対する思いやりがなければ、文化も文明も存在しなかっただろう。部族の男たちが戦いに出ている間、背後にとどまらざるを得なかった不具の戦士こそ、最初の語り部であり、教師であり、職人であった。老齢者と障害者は、治療と料理の技術の開発にあたった。尊い賢人、発狂した呪医、の預言者、盲目の吟遊詩人、才知に長けたせむしや小などが、そうした人々である。〉(「人間の条件について」からの考察)

 

 1902年生まれのエリック・ホッファーは7歳の時に母と死別、同年失明するが15歳の時に回復、その後、正規の学校教育を受けることがなく、季節労働者、港湾労働者としての厳しい生活の中から独自の思索を深めていく。 上記の言葉は、「力あるものを辱めるため」など、どうかなと思えるような表現もあり、随分強引なところもある人類史へのアフォリズム(評言)だと思うが、ホッファーの著作に一貫して流れている独自の観察力と洞察力からの、ある一面面白い見方だなと思う。

 

 あたりまえのことだが、病弱者や障害者、あるいは老齢者や幼い子どもに限らず、人は自然環境に、他者たちに依存しないでは生きてゆけない。

 ところが現社会は「自立」した個人を前提とした秩序であり、何かを生み出すことをあるものの価値基準とする思考法である。成長、成熟ということをわたしたちの社会は、自分の身体を含めて、さまざまのことを自分でできること、生きるに必要な多くのものを「意のまま」にできることとして了解してきた。

 つまり、自己決定と自己責任が可能な「強い」主体という概念を骨格にした法と社会制度の社会である。

(※鷲田清一『老いの空白』「4〈弱さ〉に従う自由」(p105)参照)

 

 このような社会で暮らしていくことで、成長するのがよい、できるのがよい、意のままにできることがよい、などというようなことが無意識的に根付いているのではないだろうか。

 一方、さまざまな理由で、それの困難な“弱い”人たちへの、多かれ少なかれ精神的な圧迫感を与えていると思う。

 

 だが、ことさら自己決定・自己責任といわなくとも、一人のひととしては、他にかけがえがない一人ひとりであることは自明の理である。また少し考えてみれば、一人では生きられない根本的に“弱い”生きものである。

 一人ひとりの自立的で創造的な交わりと自然環境との交わりのなかで、ともに依存しあうことで生きてゆけるのだろう。

 

 内田樹は次のように述べている。

〈ひとりひとりおのれの得手については、人の分までやってあげて、代わりに不得手なことはそれが得意な人にやってもらう。この相互扶助こそが共同体の基礎となるべきだと私は思っている。自己責任・自己決定という自立主義的生活規範を私は少しもよいものだと思っていない。

 自分で金を稼ぎ、自分でご飯を作り、自分で繕い物をし、自分でPCの配線をし、自分でバイクを修理し、部屋にこもって自分ひとりで遊んで、誰にも依存せず、誰にも依存されないで生きているような人間を「自立した人間」と称してほめたたえる傾向があるが、そんな生き方のどこが楽しいのか私にはさっぱり分からない。

それは「自立している」のではなく、「孤立している」のである。〉(内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』より)

 

 自分のことを見ていくと、年を取るにつれて、いろいろなことが以前に比べてできなくなっている、ぎこちなくなっているのを感じている、特に身体面において。だがその視点から、逆に老いるということはどういうことなのか考えている。

「老い」に限らないが、人生を「できる」ということからではなく、「できなくなる」というほうから見つめてみると、また、人は根本的に”弱い“生き物であるとみることで、もっと違ういのちの光景が眼に入ってくるのではないだろうか。

 

参照:鷲田清一『老いの空白』(岩波書店、2015)

内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文春文庫、2011)