日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎日々彦「詩句ノート」、鶴見和子 歌集『回生』など

 〇鶴見和子 歌集『回生』(藤原書店、2001 )などから

※脳出血で斃れた夜から迸り出た短歌一四五首。著者の「回生」の足跡を内面から克明に描き、リハビリテーション途上にある全ての人に力を与える短歌の数々

 

・回生の花道とせむ冬枯れし田んぼにたてる小さき病院身の内に

・感受性の貧しかりしを嘆くなり倒れし前の我が身我がこころ

・我がうちの埋蔵資源発掘し新しき象(かたち)創りてゆかむ

・半世紀死火山となりしを轟きて煙くゆらす歌の火の山

・ほとほとと病室の扉(と)を叩く音 三日つづきて直輔昇天を知る

・我もまた動物となりてたからかに唸りを発す これのみが自由

・フル・スピードもて燕(つばめ)自在に飛び交えど衝突せぬを不思議と思う

・花道を杖もて歩む静(しずか)われ 昔を今になすよしもがな

・おおらかに死を語りあう友のありてかがよい熄(や)まず我が老いの日々

・楡若葉そよぐを見れば大いなる生命(いのち)のリズム我もさゆらぐ

・猿も鹿も猪も棲むとう七沢に片手片足(へんしゅへんそく)の我 山姥(やまうば)となれり

・玄関の扉(とびら)開けば山々を渡り来(こ)し風はそこに待ちてあり

・水、水、といいてウランの火に灼かれしヒバクシャの惨苦あらせてはならぬ カタストロフィ カタストロフィ

・舞い上がる燕の姿勢想いみる 立ち上がり訓練我ままならず

・最後まで残れる欲は知識欲いまわに近く好奇心燃ゆ

・「自己」と「非自己」境なくなり壊れゆくその刻我は還る宇宙へ

・どのような心象風景にて死にゆくかたのしみにてその刻を待つ

・ひとり居は寂しからんと人はいえ ひとり居ほどに愉しきはなし

・翼のべ空飛ぶ鳥を見つつ思う自由とは孤独を生きぬく決意

・生きていることは愉しき死ぬためにおぼえておかんこのたのしさを

・羨しとて見らるる身より憐れまるる今の我が身で心安けれ

・何のために生きているのかわからない寝たきりなんぞになってたまるか

・みんみん蝉命の限り鳴きつぐをわが歌うたうリズムとぞ聞く

・身の中(うち)に死者と生者が共に棲みささやきかわす魂ひそめきく

・微小宇宙我大宇宙とひびきあい奏でる調べ日日新しき

 

〇2018年四季折々(4月22日~28日)

(22日)・春怒涛来し方行方かけめぐる

 人類は科学技術の展開からみたら初期のころに比べて飛躍的な発展を遂げたといえるが、それが人の幸福につながっているとは到底思えない。

 身体の面からみると、長い飢餓状態の歴史を肉体に刻んでいるので、飢餓には強いが、飽食には弱い体の構造になっているらしい。それが現代人の高カロリーの飽食が成人病等の大きな要因になっているとも言われる。

 精神の面からみると、あまり変化はしていないのではないだろうか。むしろ過酷な自然条件の中で生き延びてきた大きな要因である、他の人への共感力、同情心や「生命力」はやせ衰えている面もあるのではないだろうか。

 そいうことなどから、原初の頃の荒々しいが素朴な心の持つ可能性に着目している。

 

(23日)・身体感覚で紡ぐ信頼のどけしや

 山極 寿一は「信頼のある人間関係を紡ぐ」には、嗅覚、味覚、触覚などが大事であると述べている。

〈人間は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感を持っています。このうち、科学技術によって拡大されたのは視覚と聴覚です。なぜなら、人間が生活する集団の規模が巨大化するに従い、情報を処理する能力を高める必要があったからです。しかし、人と人とを結びつけていたのは. 視覚や聴覚ではなく、そのほかの嗅覚、味覚、触覚なんですね。それを使ってでしか、人間は. 信頼関係を紡ぐことができません 。(山極 寿一「人間家族の由来と未来 ― ゴリラから AI まで」より)

 言われてみれば面白い見方だと思う。視覚、聴覚は脳で理解する機能に優れているが、嗅覚、味覚、触覚は身体感覚が受け止める要素が大きいのではないだろうか。幼児の成長段階に限らず、人と人との信頼関係は身近に交流することによる身体感覚によってより一層促進されているように思う。

 

(24日)・球春の投げ手漱石受け手子規

 あるインタビューで「人の信頼とは、どうやって生まれるものなのでしょうか?」という問いに山極氏は次のように応えている。 

〈我々は、いまだに身体でつながることが一番だと思っているわけです。人間にしかないチームワークを支えているのは、類人猿の時代からの身体感覚なんですね。人間は言葉や文字をつくり、現代ではインターネットやスマートフォンなど、身体は離れていても脳でつながる装置をたくさんつくってしまった。だから、安易に「つながった」と錯覚するけれど、実際には信頼関係は担保できているわけではないという状況が生まれています。人間は想像力を駆使して共感力を高め、脳でつながる方法をつくりあげてきたけれど、チームワークの基盤には身体的なつながりが不可欠なのかなと思います。〉(「人間の五感は「オンライン」だけで相手を信頼しないようにできている──霊長類の第一人者・山極京大総長にチームの起源について聞いてみた」後編(サイボウズ式2017年9月27日より)https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001351.html

 この記事は「チームワーク」は人間だけのもの。動物は、何か目的や意志を持ってメンバーを選んで集団をつくらない。それを可能にしたのは「共感力」と「想像力」との観点から述べた興味深い記録だと思う。

 

(25日)・京たけのこ三日つづきのてんこ盛り

 大阪の叔母さんから「京たけのこ」が贈られてきて、煮物にもしたが、ほとんどたけのこ御飯にしている。

「京たけのこ」は、食用たけのこの代表品種である「孟宗竹」を用い、独特の方法で栽培されているという。

 筍飯(たけのこご飯)は、風味といい食感も楽しく食べごたえがあり、3日続けて美味しくいただいている。

 

(26日)・リハビリで新たな価値の種を蒔く

 事故により友人が、脳梗塞により知人がリハビリに取り組んでいる。私もそのような状態になる可能性はあり、友人への、よくなってほしいなとの願いとともに、リハビリテーションについて次のことを思っている。

 リハビリテーションは、「人間らしく生きる権利の回復」である。単なる機能回復訓練ではなく、新たな生活に向けて、活動、社会参加を含め考えていくことが大事となる。

 そのためには、(事故)以前の状態に戻るというより、リハビリの過程で自分の状況を新しく捉えなおすことは必要である。リハビリに限らず、ひとは生きている限り新しく経験しなおすプロセスを生きていると思う。

 また、自分が失ったと思っている価値の他に、今まで自覚していなかった異なったいくつもの価値、可能性があり、その可能性を見出していく。他の人による身体的な支援や、道具の使用なども含めて。

 新しい状況では新しい困難とチャンスが生れている。複数の価値や他者の存在を感じることにより、道は新たな方向に転換していく可能性がある。

 

(27日)・水温むこころの技能発揮せん 

 リハビリテーションについていろいろな見解があるが、私がいいと思っているのは、目標指向的リハビリテーションだ。

〈リハビリテーションの究極の目的は、個々の患者・障碍者における最大限のQOL(人生の質)の実現であるのが基本的な理念となる。それは、以前の生活への復帰によってというよりも、「新しい人生の創造」によってよりよく実現できるという考え方に立って,「どのように新しい人生を創るのか」という目標を明確にして,それに向けてリハビリテーションを進めていこうという考え方である。〉(上田敏『科学としてのリハビリテーション医学』より)

 そのために欠かせないのは、一人ひとりの主体性を尊重し、意思・自己決定権を大事にして、必ず本人が納得してから稽古(訓練)を行うのを助けるというのが専門家の仕事となる。

 同時に心のなかにある「困難、わだかまり」と折り合いをつける心の技能(心理的コーピング・スキルズ)の獲得が大切になってくる。

 

(28日)・斃れてのちはじまる回生春の虹

 上田敏・鶴見和子『患者学のすすめー内発的リハビリテーション』(藤原書店、2013)を読む。

〈患者が主体、医療者は支援者:リハビリテーション界の第一人者、上田敏と、国際的社会学者、鶴見和子が、“自律する患者”をめぐってたたかわす徹底討論。「人間らしく生きる権利の回復」を原点に据えて障害と向き合う上田敏の目標指向リハビリテーションと、内発的発展論が見事に響き合う。(藤原書店案内より)

 リハビリテーションの一つの事例として、さまざまなことを考えさせてくれる好著と思う。

・「斃れてのち元(はじ)まる宇宙輝いてそこに浮遊す塵泥(ちりひじ)我は」(鶴見和子)