日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎日々彦「詩句ノート」、アインシュタインの言葉から

〇アインシュタインの言葉から

 アインシュタインの言葉について、さまざまな書籍があり、インタネットで「アインシュタインの名言」と検索すると、英文の付いたものも検索できる。

 だが、ある文章にある一部文の言葉は、前後の文脈を見ていかないと、その真意がもう一つ分からないものである。

 そのため、出典の明示が欠かせないが、それをしていない「言葉」の紹介が多い。またその原文、少なくとも確かな翻訳者による独文から英文あるいは日本語文に翻訳したものであることが望ましい。

 アインシュタインも何かで触れていたと思われるが、「自身が述べた言葉には責任を負うが、翻訳したものには、責任を負えない」と。

 そのことを留意しつついくつか紹介をする。

 

・「重要なことは、疑問を止めないことである。探究心(疑問)は、それ自身で存在の意味を持っている。永遠、生命、現実の驚くべき構造の、神秘に思いを馳せるなら、畏怖に打たれざるを得ない。日々この神秘さの一部でも思いを馳せるだけで十分である。気高き探究心を決して失うことの無いように。」

"The important thing is not to stop questioning. Curiosity has its own reason for existing. One cannot help but be in awe when he contemplates the mysteries of eternity, of life, of the marvelous structure of reality. It is enough if one tries merely to comprehend a little of this mystery every day. Never lose a holy curiosity."

 

・「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。」

”The more I learn, the more I realize I don’t know. The more I realize I don’t know, the more I want to learn.”

 

・「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」

”Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow. The important thing is not to stop questioning.”

 

・「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」

”Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.”

 

・「可愛い女の子と一時間一緒にいると、一分しか経っていないように思える。熱いストーブの上に一分座らせられたら、どんな一時間よりも長いはずだ。相対性とはそれである。」

When a man sits with a pretty girl for an hour, it seems like a minute. But let him sit on a hot stove for a minute – and it’s longer than any hour. That’s relativity.

 

 ・3月25日の句日記に紹介した、ニュー・ヨーク・タイムズに掲載された、アインシュタインからの手紙の英訳は次のようなものであるそうだ。

"A human being is part of a whole, called by us the "Universe," a part limited in time and space. He experiences himself, his thoughts and feelings, as something separated from the rest--a kind of optical delusion of his consciousness. This delusion is a kind of prison for us, restricting us to our personal desires and to affection for a few persons nearest us. Our task must be to free ourselves from this prison by widening our circles of compassion to embrace all living creatures and the whole of nature in its beauty."

 

〇2018年四季折々(3月25日~3月31日)

(25日)・言の花時空を超えてかげろへる

 知人のFacebookへの投稿記事から、アインシュタインの言葉が話題になっている。

〈人間の存在は、我々が「宇宙」と呼ぶ全体の一部であり、それは時間と空間において限られた一部である。人は自分自身、自分の思考や感情を、他から切り離されたものとして経験する。これは意識における妄想である。この妄想は、我々にとって一種の牢獄であり、個人の欲望と、最も近しい数人への愛情に我々を限定してしまう。 我々の努めるべきことは、全ての生きものと自然全体の美しさを包含する同情の環を広げることにより、我々自身をこの牢獄から解放することである。〉(1972年のニュー・ヨーク・タイムズから)

「delusion」=妄想は、「根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理によって訂正することができない主観的な信念」とある。病的にかかわらず、意識そのものは、そのような傾向を生じやすいものと思っている。何かを考えるとは、その自覚から始まるのだろう。

 

(26日)・身のなかのいのち蠢く春の闇

 シリーズ 人体 神秘の巨大ネットワーク第7集(最終回)「“健康長寿”究極の挑戦」をみる。

 このシリーズは、人体の「脳が全体の司令塔となり、他の臓器はそれに従う」とのイメージを、「体中の臓器が互いに直接情報をやりとりすることで、私たちの体は成り立っている」という事実を探求した、新たな医学の潮流の全貌を全8回にわたってご紹介した番組。8回通して興味深い印象を残した。

 人間は「宇宙」と呼ぶ全体の一部であることから、ミクロの世界を見ると、人の脳は「身体」全体の一部である。脳が作り出す「意識」や「こころ、精神」を重要視しがちであるが、それも95%以上無意識なものによっているらしい。福岡伸一によると生命現象の研究者のトレンドが「脳」から「腸」へと大きくシフトしているのだそうだ。

 

(27日)・明日あると思う気楽さ山笑ふ

 知人の小さな会社の代表取締りの方が脳梗塞で倒れて、現在リハビリ中である。その人によって、各種手続きの最終チェック、具体的に本人しかわからないパスワードがあり、共有する記録として残してなく、その人の頭の中にあるので、記憶の喪失による各種手続きが滞っているという。

 これは自分のことを振り返る機会になった。会社ではないが、自分がそのようになったら、家庭的なことではあるが各種手続きがあり、妻はとても困るだろうと思う。

 いつ何時どんなことが起こっても不思議ではないが、今日の自分にはそんなことは起こらないだろうと根拠のない思い方で暮らしている。

 

(28日)・終わりから始まる未来卒業期 

 2年程前に引っ越しをした。妻の両親が残したものはもちろん、自分たちの抱えているものも、大部分整理したつもりである。ところがいろいろなものが増えてきて雑然としてきている。ものが増えないように整理、整頓をしているつもりだが、はたして今後使うことがあるのか心もとないもの、使わないだろうものが実に多い。また、整理整頓というか、いつどんなことになってもいいように始末をはじめている。

 一層大事なことは、心の状態そのものが、身軽になることではないかと思っている。

 

(29日)・夙川の花につつまれ和気藹々 

 西宮のさくら夙川に行く。河川全体が公園として整備されている都市公園。夙川の両岸に南北2.8kmに桜並木が続く。川沿いの公園で遊ぶ若者、家族連れ、数多の老若男女が花筵を敷いて和気藹々と団欒している間を、西宮独自の夙川舞桜、西宮権現平桜や大島桜、寒緋桜など色とりどりの桜を見ながら気持ちよく散策する。

 1949年1,000本のサクラの若木の植樹が行われ、桜博士と呼ばれる笹部新太郎が管理、育成、植樹の指導をした。現在はソメイヨシノを中心に約1660本の桜がある。

 水上勉の小説「桜守」のモデルにもなった桜博士・故笹部新太郎は、日本固有種の桜の保護育成を目指し、大阪造幣局の通り抜け、奈良県吉野、兵庫県西宮市夙川公園ならびに甲山周辺など、各地で桜の管理・指導を行った。「ソメイヨシノばかりが日本の桜ではない」とし、多数ある固有種・古来種の保護を訴えた。

 

(30日)・月日かけ身を以て語る花の色

 志村ふくみ『一色一生』に次の言葉がある

「色はただの色ではなく、木の精なのです。色の背後に、一すじの道がかよっていて、そこから何かが匂い立ってくるのです。私は今まで、二十数年あまり、さまざまの植物の花、実、葉、幹、根を染めてきました。ある時、私は、それらの植物から染まる色は、単なる色ではなく、色の背後にある植物の生命が色をとおして映し出されているのではないかと思うようになりました。それは植物自身が身を以て語っているものでした。こちら側にそれを受け止めて活かす素地がなければ、色は命を失うのです。」

 花の開花はその一端を見せているだけで、時空の恵を束ねたいのちの精髄で花を咲かせ、幹をふくめた全身でその花びらの色を生み出しているのだろう。

 

(31日)・うららかや愛する人がいればこそ         

 NHK・ETV特集『愛する人がいればこそ』をみる。

 長崎県の社会福祉法人・南高愛隣会が支えている雲仙市を拠点に活動する和太鼓集団「瑞宝太鼓」の

「誰かを好きになること。愛する人と結婚すること。子どもを産み、育てること。」そんな幸せを手にした知的障害のある人たちのドキュメント。旧優生保護法による強制不妊手術問題など優生思想への向き合い方が改めて問われる今、誰かを愛することの意味を見つめる番組。

 見ながら、自分の身近にいる人のことを思っていた。支え合って生きていくのは、ひとであるかぎり必然のことだと思っている。