日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎日々彦「詩句ノート」、宮尾節子の詩「きれいに食べている」

〇宮尾節子・詩「きれいに食べている」 

・宝石をひろうように、きれいな言葉をひとつ見つけました。

 

 『毎日新聞のニュースサイト「毎日jp」に4月、東日本大震災で亡くなった息子の弁当を、がれきの中から発見した両親の記事が掲載された。母親は弁当箱が空なのを確認し、「きれいに食べている」と嗚咽したという。』*(※引用)

  母親は、子どもが持って帰るお弁当箱を洗うとき、開けてみて中身が

「空っぽ」だったら、うれしい。

 

「あ、ぜんぶ食べてくれてる」という、一つは作り手の嬉しさと。

「全部食べて、栄養になってる」

きょうも元気に育ってくれているという、親ごころの嬉しさの二つで。

からっぽのべんとうばこは、ははおやを幸せにする。

 

がれきのなかから、見つけた弁当箱が、その「空っぽ」が、

いっしゅんその「しあわせ」を母親によびもどしてくれたのだと、おもう。

――ちいさな奇跡が、母親の暗い心に、ひかりをまぜた。

 

「きれいに食べている」

ひとつめで、母親は、うれしくて。

「きれいに食べている」、

ふたつめで、母親は、おえつした。

 

台所で、いつも口に出さずに思っていた、ことば。

「あ、きれいに食べている」

いつも、お弁当箱を開けるだけで出てくる、ことば。

「あ、きれいに食べている」

母親の胸のなかで、くりかえし、あらわれた、ことば。

 

瓦礫の中から、弁当箱といっしょに出てきた、ことば。

「きれいに食べている」

 

責めも、うらみも、悲しみもの、

何にもつかまっていない、

――何もはいっていない、

空っぽの「きれいな弁当箱」が、

まるで、息子の置いていった、きもちのように、見える、

 

――「きれいに食べている」

 

この「きれいな言葉」に、

この「言葉のきれいさ」に、

わたしは、今回の震災で、

 

いちばん、

ないてしまいました。

 

それは、いっしゅん、光りが差すように、

深い悲しみの中に

つかの間、うれしさが、混ざりこんで、くれた、

ありがたさから

だったとおもいます。

 (宮尾節子詩集『明日戦争がはじまる』 より)

※宮尾 節子:詩人。高知県出身。埼玉県在住。詩『明日戦争がはじまる』がネットで紹介され反響を呼ぶ。詩集に『くじらの日』 (沖積舎1990)、『かぐや姫の開封』 (思潮社1994)、『妖精戦争』 (微風通信2001)、『ドストエフスキーの青空 』(文遊社/影書房2005)、『恋文病』 (部風通信/精巧堂出版2011)。

 

〇2018年四季折々(3月11日~17日)

(11日)・逃水のごとし復興七年目

 NHKスペシャル・シリーズ東日本大震災 「めざした“復興”はいま・・・ ~震災7年 被災地からの問いかけ~」を観る。〈今、被災地では想像を超えた事態が起きている。“終のすみか”のはずの災害公営住宅では、体調を崩し孤立する高齢者が相次ぎ、働き盛りの世代も生計をたてられずに苦悩を深める。かさ上げした新たな街では、住民が戻らず、使う予定がたたない“空き地”が広がる未来が見え始め、人を呼び込むために新たに税金が投入されている。福島では自治体が「学校再開」を急ぐが、子どものいる若い世代の帰還は進まず、前途多難な状況が続いている。〉

 この時期になると東日本大震災関連の報道が多くなる。知ることで、自分の中ですぐに何かが変わるわけではないが、今の実態をつかんでいくことはしていきたい。情報の吟味が欠かせないが。

 

(12日)・春の潮かおる厨の干し鰈

 親戚から、冷凍魚の干物セットが贈られてきた。アジ、カレイ、ハタハタ、ノドグロの干物、干し鰈など、ここ数日美味しくいただく。東京で育った小さい頃。干物はよく食べたものだが、日本海の海に近いところで育った妻の一家は、生の魚や刺身のみで干物の類は食べなかったそうである。

 そういえば、海沿いのここは新鮮な魚が手に入るので、引っ越し後は干物をほとんど食べていない。

 

(13日)・うららかや過失に膝をつく素直

 ある資料研に参加する。吉田光男「わくらばの記」の2016年1月22日の箇所を資料として出し合う。

<人の目に見えなくすることで、あたかもそれが存在しないかのように振るまうのはいかにも姑息。ずいぶんそうした姑息な行為をしてきたものである。------こうした考えが過ちを素直に認めない、それと正面から向き合わない言動につながってしまった。>など、組織がもっている隠ぺい体質に焦点が当たった。

 自分たちの思惑に合わせて他を意のままにしようとする、他の評価によって自分たちの行動の価値が決まるという、主体性がないどころか他を侮っていることになる。自分はどうなっているのか考えていた。

 

(14日)・一生涯躍る心の老の春

 親しくさせていただいているS夫妻から、話を伺う。90歳すぎの二人とも元気で溌溂としていらっしゃった。二人の結婚(70年たつ)を経て山形から北海道根釧原野への入植、その大地の広大な広さ、除雪車などない中の雪の激しさの中、ともに入植した人たちとの助け合い、1959年の北海道特講から「北試」(ヤマギシの村)への参加、ブルセラによる飼牛の全滅、炭鉱へ出稼ぎ、その後の「北試」での立て直しと話は続いた。

 知人F氏の『追わずとも往く』は、そのような先人たちが育て上げた土台のもとで、ある程度落ちついたところへ意欲的な青年たちが参加して、その豊かな可能性を秘めた状況の体験を踏まえて展開される。

 

(15日)・湧くドーパミン走る心は春の色

 友人Yさん来訪する。先日覚悟をしていたという、すい臓がんの転移がないとわかり、それで癌が消えたわけではないが、まずは妻とほっとしていた。訪問前に芦屋川添いをジョギングしたという。中学生のころから走っているそうで、それが精神的にもいい作用を及ぼしている話などから、精神的な心の深まりと知的な明晰さとのバランスが無意識的なその人の身になっているなど、話は多岐にわたる。意欲的で冴えている話は楽しかった。

 

(16日)・ヒマワリの種まく人や吾子の影

 友人の紹介で大阪アジアン映画祭、映画「種をまく人」を観る。

「ダウン症という障害を持って誕生した姪は、同じ年代の子供たちと比べると成長のスピードがゆっくりです。しかし彼女なりのペースで感情の表し方を覚え、コミュニケーションの取り方を身につけ成長しています。 そして何よりも彼女の屈託のない笑顔はまるで天使のようで、本当に周囲を明るく照らすのです。

 彼女の無垢な心、その笑顔に触れるたび、障害とは何か、個性とは何かを考えさせられます。 映画「種をまく人」を通して、障害と個性、それらを受け入れる社会や人のあり方について今一度考えたい という欲求と、そして何よりダウン症の姪の笑顔をこの映画に残し、より多くの人に見てもらいたいという 想いがこの映画を作らせました。」(監督・竹内洋介の言葉から)

 

(17日)・天と地と生死の間に種を蒔く 

 高村薫『土の記(上)(下)』を読む。

 自然界の現象と社会の出来事の影響を受けつつも、現場から遠く離れたところでは土に根差した人の暮らしの営みが淡々と続いていく。その人も老いを迎えて、記憶もおぼろになっていきやがて死に至る。

 ある地方の農村の視点から、現代のかかえる、生と死、村社会、過疎、少子高齢化、認知症、家族のあり方の変容といったような様々な事象が描かれる。それが、農業という生命にかかわる営みと隣り合わせのこととして出てくる。

 東日本大震災などの大きな出来事があるといろいろ考えるが、日常の暮らしは淡々と過ぎていく中で、次第に社会が大きく変容していくのではないかというようなことを思わせる小説。