日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎働く幸せとは(2)(大山泰弘と障がい者)

〇福祉分野の根幹をなす理念に「ノーマライゼーション」がある。

 ノーマライゼーションとは,障害者(広くは社会的マイノリティも含む)が一般市民と同様の普通(ノーマル)の生活・権利などが保障されるように環境整備を目指す理念で、逆にいえば,このような考え方が出る背景には,障害者を取り巻く環境は,普通ではなかった(アブノーマル)ということになる。(※「普通」というとらえ方は曖昧で曲者ではあるが)

  また、福祉に携わるひとによく取り上げられる著名な言葉に、「この子らを世の光に」がある。

 知的障害者福祉の父と言われている糸賀一雄の、〈この子らを世の光にとてささげける いのちのかぎり春をまちつつ〉からの悲願ともみえる思想だ。

 

 だが現社会では、「普通の生活ができるように援助する」、「ハンデキャップを抱えた人としてケアしていく」など、支援を必要している人へのほどこし的な色合いが濃い〈客体〉としての対象者とする見方が多いのではないだろうか。

  この観点も必要なことではあるが、障がい者の主体性をないがしろにした、〈強者〉とされている人たちによる社会保障関連の施策や方式が決められていくことが多い現状である。

 

これに対して、障がいがあろうと無かろうと、すべての人が主体者となって、働く幸せを実現できるように経営している会社がある。現会長・大山泰弘氏の所属する日本理化学工業株式会社である。

  この会社は、1960年二人の知的障がい者を受け入れ、その働く姿に感応し、積極的に障がい者を社員として雇用してきた。

 その過程は、さまざまな困難があり紆余曲折をしながら、障がい者を含めた社員と試行錯誤しつつのりこえてきた。

 そして、知的障がい者がお世話される側・施される側から脱却し、力強い労働者になる方法を考え出していき、次のことを会社の理念とする。

 

「重度の障がい者だから福祉施設で一生面倒を見てもらえばいいというわけでもありません。つまり、健常者が障がい者に寄り添って生きる『共生社会』ではなく、『皆働社会』なのです。そのことに気付いた私は、福祉施設改革による『皆働社会』の実現を経営理念の一つにしました」

 その理念のもとに、半世紀以上経過している現在、全社員80名余の7割以上を知的障がい者が働き、その輝きは薄れていない。

 

 その過程を大山泰弘『利他のすすめ』(WEB出版、2011)を引用しながら、みていく。

 この著書は、大山氏が知的障がい者を含めた社員とともに困難を乗り越えながら経営し、社会の偏見や無理解といったことにもわずさわれずに、著者が社員と向き合う中で気づいた「無言の説法」というものが随所にちりばめられていて、一つひとつに重みがある。言葉ではなく、相手のことを本気で考え、行動したとき、たくさんのことに気づくことができたそうだ。

大山氏が知的障がい者の働く姿から経験し、実感した言葉を、いくつか引用する。

・「人を育てる-----。これは、実に骨の折れることです。時間はかかりますし、辛抱もしなければなりません。それでも、私は『待つ』ことを大切にしたい。

 人は、誰かの役に立つ幸せを求めて、必ず仕事に真剣に向き合うようになります。周りの人が、その小さな成長に眼を向け、励まし、支えることで、その人は必ず育っていくのです。

 そして、「待つ」ことによって、私たちは、『絆』という大きな果実を得ることができるのです。」(p44)

 

・「知的障がい者には理解力に限界があります。そのため“戦力”になってもらうためには、さまざまな工夫をこらす必要がありました。経営的に厳しい時期もありました。-----試行錯誤の連続でした。しかしその過程で、私は実に多くのことを学ぶことができました。(p31)

・「彼らは障害のために理解力に限界があります。これは、逆らいようのない現実です。だから、うまくいかないからといって彼らのせいにしても意味がないのです。

 その代わりに、私が工夫すればいい。------

 私はずっと、彼らが数字を理解できないことが『壁』になっていると思っていました。しかし、それは間違いでした。『壁』は私のなかにあったのです。

 このとき、私は『障害者のせいにはできない』ということを心に刻みました。そのほうが可能性は広がりますし、何より私自身が成長することができるからです。」(P56)

 

・「私たちは、ついつい自分にとっての『当たり前』を相手に押しつけようとしてしまいます。そして、相手が理解してくれなければ、それを相手のせいにしてしまう愚を犯してしまいがちです。

 しかし、相手のせいにしても何の解決にもならないのです。他人を変えることはできません。しかし、私たちは自分を変えることはできます。そして、自分が変われば、相手も変わり始めます。この普遍的な真実を、私は知的障害者に教わったのです。」(p58)

 

・「知的障がい者は、感じたことを正直に表現します。-----もしも、彼らに不信感をもたれてしまうと、「無反応」という「拒否」の意思表示になります。」(p66)

「健常者は、相手に不信感を抱いていても、それを正直に表現することはありません。いわゆる“大人の対応”をして取り繕おうとします。そのほうが、波風を立てないですむからです。

 もちろん、それも生きていくうえでの『知恵』には違いありません。しかし、あくまで虚飾です。表面上はそれなりの関係を保っていても、心のなかではそっぽを向いているのです。------。

 本気で生きること。そして、本気で相手のためを思うこと。それ以外に、強い絆をつくる方法はないのです。」(P72)

 

・「私は知的障害者との関係に悩む社員にこう語りかけています。

「君は本気で仕事に取り組んでいますか? 本気で彼らのためを思っていますか?  君が本気でなければ、彼らは応えてくれないんだよ」

 すると、ほとんどの人がわが身を振り返るようになります。そして、彼らに真剣に向き合うようになり、やがて信頼関係を築き始めます。

 知的障害者の正直さが、彼らを成長に導いてくれるのです。」p72

 

・「仕事がうまくいかないときや、障害者が言うことを聞いてくれないときには、相手のせいにするのではなく、自分の態度や指示の仕方を見直すようになります。そして相手の立場に立って、相手に伝わるような対応をする力をつけていきます。『人のせいにしない』からこそ、自分を磨くようになるのです。」(p76)

 創業者の父は丁稚奉公からのたたき上げの苦労人だったという。その父が立ち上げた会社に、教員志望を断ち切って入社したのが現会長・大山泰弘(当時24歳)。

 1960年大山氏27歳の時、二人の知的障がい者を受け入れ、その以後障がい者の雇用は増え続け、大山氏の描く理念が着々と実現しつつあった。

 19996年に、長男の現社長・大山隆久が経営に加わる。

 その時分、チョーク業界は切迫の度を高めていた。隆久氏は障がい者雇用の縮小や合理化、近代化を考えたという。  

 だが一年もたたないうちに、知的障がい者たちと一緒に働いていくなかで「すごいな、かなわないな」と素直に感動し、尊敬するようになり、「日本でいちばん大切にしたい会社」の一つとと言われるようになっていく。

 この会社の「志」が確実に、世代から世代へ受け継がれていく。

 2016年に現社長・大山隆久は、NHK解説「視点・論点」で話をされている。

番組で、現在のこの会社のことが簡潔に述べられていて、そこからすこし抜粋する。

 

〈会社の理念の中で、大事にしていることは、「相手の理解力に合わせて伝える」ということです。数字や字の読み書きの理解のレベルはそれぞれ違いますが、それで良い悪いとするのではなく、彼らの持っている理解力でできることは、少しの工夫や配慮だけで大きく広がるということなのです。

 チョークの計量をする際に、数字や文字を使いマニュアル通りに教えてもなかなか伝わらなかったことがありました。そこで、文字や数字は苦手でも一人で工場に通ってくる中で、いくつもの信号を無事に通ってくることから、その信号機をヒントに、文字や数字の替わりに色を使って作業することでしっかり理解してくれた様から気づいたことがありました。

 彼らの持っている理解力に合わせて段取りをしたり、その中で教えられることができれば、彼らは自分が理解したことについては誰よりも一所懸命にやってくれるので、安心して仕事を任せることができるのです。

 よほど、私より仕事に忠実で素直な分、信頼できる人たちですので、大きな戦力になってくれています。

 そんな中で、1つ厳しい教えもあります。

 それは、私たちが障がいのある社員に何かを教えたときに、その人ができなかったとき、「それは教えたほうがいけないのだ」と一言で片付けられることです。

 こちらも理解してもらおうと何度かトライしても伝わらなかったときには、どうしても相手のせいにしてしまいます。

 しかし、それでも相手のせいにしてはならないといわれると、何度もチャレンジしていれば頭にもきますし、言われて悔しい言葉です。しかし、『教えた方がいけないのだ』という言葉があるから簡単にはあきらめることはできませんし、相談できる仲間とともに新たな伝え方から理解してもらったときには、あーやっぱり伝えられるやり方はあるのだとうれしさと納得感がわいてきます。

 それが教える側の喜びなのだと思います。

(「誰もが人の役に立ち 働く幸せを」日本理化学工業株式会社社長・大山隆久(NHK解説アーカイブス視点・論点)2016年05月03日)〉

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/243814.html

 上記の、〈「待つ」ことを大切にする。「壁」は私のなかにある。自分の「当たり前」を相手に押しつけない。わが身を振り返る。人のせいにしない。〉など、どれも含蓄の深い言葉で、大山泰弘氏の長年の経験からにじみ出たものだろう。

 これは、会社経営とか、障がい者に対する心の持ち方とか、そういう範囲のことだけではなく、人とともに暮らしていくときの、欠かすことのできない要点だと思う。

 またこのことが、会社経営のエッセンスになるところが、この会社の凄さともいえるかもしれない。

 

 大山氏やこの会社の素晴らしさや可能性を大いに認めつつ、次のことも考える。

 現社会で働くことは、その成果として収穫する、換金して稼ぐあるいは給料をもらい自らの生活を成り立たせていく。その結果として、人として一人前に扱われるように思っている人も多いだろう。これは根強い思い方になっている。

 しかし、現社会では、働きたいけれど、身体的に、精神的に、能力的になどいろいろな理由で、働くことが困難な人たちがいる。障害の程度も一人ひとり極端に異なる。

 この会社だけではなく、障害者に理解を示し、積極的に受け入れしている会社もある。そのような会社に雇用されても長続きしない人たちもいる。また会社の方でも当然、限界がある。

 

 知的障がい者に限っても正規雇用されている人は10%程度といわれている。さまざまな生活保障制度はいくらかあるにしても、「自ら生活を成り立たせられない人」という内面化した規範は、その人の自尊心を奪っていく。そうすると、引っ込み思案になりやすく、余計働くことから遠ざかり悪循環になっていく。その人だけではなく、家族も巻き込んでいく場合もある。

 先日紹介した、小松成美『虹色のチョーク 働く幸せを実現した町工場の奇跡 』では、障がい者の家族のことも三例紹介されていたが、それを読んでいてもしみじみした思いが出てくる。

 

 そのような現状がある中で、「福祉施設改革による『皆働社会』の実現を経営理念の一つにしました。」との日本理化学工業株式会社の試みは大切にしたいなと考える。 

※大山泰弘『利他のすすめ』(WEB出版、2011)