日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎冬道麻子の短歌から・握力計の知らざるちから身にありて4Bの鉛筆に文字現わるる

※10年以上前、養護学校で知り合ったKさんとの交流から。Kさんは筋ジストロフィを抱えながら病院生活を送り、そこの養護学校に生徒として在籍していた。

 

〇掲載句は、『森の向こう』(昭63)所収。元気で活発な少女だったが筋ジストロフィを発病、闘病生活で短歌を知る。握力計にはもう現れもしない力が、4Bの鉛筆を握れば、身に潜んでいた力が文字となって現れる。「字がかける。歌が作れる!」。歌を作ろうとする意志、その集中が瞬間に生み出すものの偉大さ。

 冬道麻子(1950-)静岡県生まれ、歌人。進行性筋ジストロフィ発病後短歌を知り、「塔」入会、高安国代に師事。歌集『遠きはばたき』『森の向こう』『リラの風』。

※参照 大岡信『新 折々のうた1』岩波新書、1994年。

 

・さしだせばわが手も支柱と頼みくるアサガオが蔓の宙に彷徨う

・病床のわれの位置よりなお深く落ちゆくものぞもみじくれない

・菜の花に触れないできょうも棄てないで室内に散るに任せておいて

 

 以前に、Kさんが手掛けているアサガオの育ちの様子がメールで送られて来ました。その後どんな風になっていきましたか? 身近な自然界、草木花の命に触れて、自分の生活、感情を重ねていくのは、短歌、俳句など短詩形の一つの特徴となっています。万葉集では、植物に関する歌が全体の三分の一を占めるそうです。先日に送られてきた三句も「猫、鮭、紅葉」とKさんの俳句にも自然界の命あるものに触れた句が多いのではないでしょうか。

 

・十本のてもちぶさたの指組めばみゆなつかしき祈りのかたち

・わがために未来を語らぬ友の手が家事に育児に太々とあり

・ひだり手も右手も寒し広くなる褥をついのすみかとなして

 

 普段、空気を意識しないように、自分の身体についてもそれほど意識することなく過ごしています。私も2ヶ月ほど前になりますが、39度Cの高熱を出し、頭が重く、身体の節々が痛くなり、その状態が3日ほど続いたことがあり、気分がすぐれず、惨めな感じになりました。今はすっかり良くなりましが、自分の身体と心の状態についてもっともっと考えていきたいなと思って

います。

 

・富士山よ縄とびの輪にお入んなさい青富士、赤富士、白富士よ

・雪が舞う美濃の視界に幾千の人が打ち継ぐ鼓動のように

・昼夜なく三千日を横たわるほどよき丸みの地球の上に

 

 人間の感覚情報の中で、視覚情報が80%を占めているそうです。したがって、視覚に障害が生じた時は、かなりのハンデが予想されます。しかし、視覚障害により殆んど失明になった場合、残り20%の感覚情報で生きていくということではありません。他の感覚(手、足、皮膚、耳、口など)が鋭敏になり、いつでも、その人自身の100%の感覚情報で生きていきます。さらに、感性、こころの成長により、かえってより豊かな生をいきることにも繋がっていくようです。

 

・病身を告白すれば目の前の母はどうなるどうなる母は

・空のほかわれには見えぬ窓に寄り母は川ある景色を話す

・草餅を突然に欲しがり家族らを脅かしわれも驚く

 

 冬道麻子は10歳頃から身体に違和感を覚え、22歳の時に筋ジストロフィーと診断されるのだが、家族には自分の身体について、心配をかけまいとして知らせなかったようです。お母さん、家族との交流の歌がとても多いし、家族とは何かを考えさせるものがあります。