日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎人生の紅葉期 (武藤洋二著『紅葉する老年』を読んで)

〇武藤洋二著『紅葉する老年』(旅人木喰から家出人トルストイまで)を読んで

 古代中国の思想では人生を四季にたとえ、五行説による色がそれぞれ与えられ、「玄冬」「青春」「朱夏」「白秋」とした。生まれてから幼少期は混沌のなかにあり、相当する季節は「冬」、それを表す色は原初の「玄」とする。玄冬の時期を過ぎると大地に埋もれていた種子が芽を出し、山野が青々と茂る春を迎え、これが「青春」。そして青年が中年になると夏という人生の盛りを迎え、色は「朱」が与えられる。中年期を過ぎると人生は秋、色は「白」が与えられ、高齢期は「白秋」とされる。

 この混乱状態「玄冬」に始まり、おそらく最後は「玄冬」に還るということなのか面白い捉え方だと思う。また、高齢期を「白秋」ととらえる見方も面白いと思う。

 五行説についてはよく知らないが、「白」のイメージをネットで調べると、清潔、純粋、神聖、素直、無垢などがあげられている。白川静『字統』には、「白」には「潔白」の意味があるそうだ。

 わたしは、孔子『論語』の為政第二の四に「七十而從心所欲、不踰矩。」(七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず―自分の思うがままに行なっても、正道から外れない。)を思い浮かべる。

 

『紅葉する老年』ついて、みすず書房の紹介文は次のようになっている。

〈「最近の長寿研究が証明する長生きの条件は、勤勉さ、真面目さ、努力しつづけること、目標をもっていることである。目的、目標を達成するために絶えず勤勉に働きつづけることであり、自分を縛る目標を設定せず、楽天的でのんびり、ゆったり時をすごす者は、長生きしそうだが、勤勉な努力家よりも短命である。」(本文より)―中略―

 日帰りの山歩き。下山を急ぐ午後3時半過ぎ、山道が異様な美しさに包まれる時間帯がある。入り日直前の陽光が黄金色に輝き、一帯を包む。これが紅葉の時期なら、奇跡のようなトワイライト・タイムだ。
 人生にも紅葉期がある。死が近づいて生がせっぱつまった老年に、若い頃には思いもよらない境地が花ひらく。醜・弱・衰は自然だろう。ただ、陽気さが必要だ。
 だれもが紅葉期に恵まれるわけではない。命の得体の知れない力、個性の強さ、命と命の想像を絶するちがいこそは、万人の人生への宇宙からの贈物であると著者はいう。
 「紅葉人として生きよう」
 本書には、そのためのヒントと励ましがつまっている。〉

 

〈老年期=人生の紅葉期には生がせっぱつまって花開く。命の個性の幅は、常識の幅より広いのだ。

 脳は自分勝手に遊ぶのが好きだ。できるかぎり自分を他者に預けずに人生の後半を進んでいくと、老年は砂漠にならないだろう。〉

 

 本書で取り上げている人物は。82歳で家出したトルストイを中心に、ゴヤ、レンブラント、ファーブル、田中正造、多田富雄、三浦敬三・雄一郎父子、木喰上人など。

  本書から、老齢期を迎えて、あるいは健康にとって、自分の身体と心の個性がのびのびすることにより、いのちが活き活きすることが何よりも大事ではないだろうかと思った。

(武藤洋二著『紅葉する老年』旅人木喰から家出人トルストイまで。みすず書房、2015)