日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎白内障の手術経過

〇66歳すぎてからモノがかすんで見えたり、二重に見えたりしていた。定期的に眼科で検査していて、そろそろ白内障の手術を考えてもいいいと言われていた。あるとき長時間の会議後、運転して帰るときに、中央の白線がダブって見えてかなり難儀し怖かったことがある。それ後しばらく慎重に運転はしていたが、やがてやめることにして、手術することにした。

 (5月8日)

 明日から2週間かけて両眼の手術で、しばらく片目眼帯生活が続く。それぞれの手術3日以後は禁止事項ではないが、眼を休めるためにパソコンなどはほどほどにと言われたが、元来目が悪く、眼鏡なしではぼんやりしてよく見えない、眼鏡も眼帯の上から掛けることもできるが、この間は、口と耳を最大限に生かそうと、ダビングしてある落語などに親しんでいこうと思っている。

 30歳ごろ、交通事故で2か月ほどの入院生活、50歳ごろ、肺の炎症でこの時も2か月ほど入院をした。どういうめぐり合わせか、この6月に70歳になるときの3回目の大きな手術である。

 振り返ると、2回の長期入院はその後の生活に大きな影響をもたらしたと思うが、今回は入院するわけではないし、それほど大げさに捉えることはないが、ある程度、目が不自由な暮らしとはどんなことになるのか、不安少々、楽しみほどほどの感じである。

 先日、インフォームドコンセントやらで、手術の伴う様々なことを丁寧に説明していただいた。
 説明書を見ながら、失明など様々の後遺症による事例に、大体は「まあ千回に1度あるぐらいで」とつけ加える。少し微妙な気持ちも起こるが「俺には当てはまらないよな」と根拠のない思い込みで聞いていた。

「万が一」からしたら10倍の確率であり、楽天的な性格なのか、なるようにしかならないという達観といえるほどのものでもないが、自分のことになっていかない何か不思議な心理作用だなと思った。
 最近南海トラフ地震の情報などに触れることもあるが、そのような体験がないか、あるいは想像力が及ばないのか、どうも自分の身近な問題になっていかない傾向がある。

 どんなことでも、他人ごとになると、どこかで「何をそんなに懸命になるんだろうな」という思いがわく。一旦自分のこととなると、妙に力が入っていく。
 考えていくときに、「他人ごと」と「自分のこととして」と、どちらにたって見ていくのか、大きな分岐点になるような気がする。少なくとも「他人ごと」である限り、きちんと考えていけないと思っている。
 超高齢社会について、いろいろなことが他人事としてではなく、自分のこととして身近な課題になってきている。

 (6月18日)

 5月9日右眼、16日左目の手術をした。

 白内障手術経過は一応順調のようだ。眼の状態が安定するのには1、2か月かかるそうなので状態を見てもらっている。
 手術後すぐ裸眼0.8で、こんなにハッキリ見えるのだなと少し驚く。1か月近く経過した今は裸眼0.4ぐらいで、日常生活やある程度本を読むには差し支えない。ただパソコンの画面は明るすぎてまぶしく感じるので、連絡事項の確認ぐらいで殆どみていない。
 それに限らず、いろいろなことを見直しする機会にしている。
 今まで使っていた眼鏡はかけるとクラクラし全く使えなくなり、新しい眼鏡は目の安定状態を見てから判断するのでまだ作成する段階にはなっていないようだ。

 (10月8日)

・白内障の手術経過

 白内障の手術そのものは工学的な処置で順調にきているそうです。しかし、眼薬の副作用によるのか、しばらく吐き気に伴う嫌な気分が続いていた。手術後のケアが肝腎だとのことで、抗菌・抗炎症・ステロイド薬と緑内障用の合計4種類の眼薬を1日に数度、2~3か月ほど点眼し続けていた。

 年とともにあちこちおかしなところが出ているので、それほど深刻に考えていなかったが、いろいろ調べて、どうも眼薬に原因があるらしいと思い、かかりつけ眼科医と相談し、先月から緑内障用1種類にしていて、心理的な要因もあるだろうが、吐き気は全くなくなる。

 眼科医によると、あまり例は聞いていないそうだが、目に効果があるということは、薬液が鼻から身体の内部にも入るので、人によっては多少なりとも影響が及ぶだろうと仰っていた。

 このことで次のことを思う。

 インフォームドコンセントが大事だといっても、医療などの専門的なことはよくわからないので、人柄や対応の仕方などによる直感的なものに頼ることになり、結局ある種の信頼感による「お任せ」になってしまう。

 もう一つは、優れた面とされていることに依存しがちになるが、おそらくどんなことにも、負の面や影の部分があり、複眼的な視点、自分自身の直観、身体の声などに敏感になることの大事さを思う。

 (10月25日)

 白内障は、眼の中のレンズの役割をする水晶体が濁ってしまう症状だ。加齢に伴って発生する場合が最も一般的で、早ければ40歳から発症し、80歳を超えるとほとんどの人が何等かの白内障の状態にあるといわれている。そのことから、自覚症状があるなしに関わらず、身体のあちこちが汚れているのではないかと推察した。

 また、ようやくパソコンの眩しさに慣れてきたので、ブログ「日々彦通信」を整理し閉じ、新ブログをたちあげようと思っている。

 追記(12月5日)

 今日は眼科医で診察を受けた。
 白内障手術そのものは順調ということだが、緑内障の気もあり、眼薬をさし続けている。手術後、日常生活はほとんど裸眼(両目0.4~0.5)でいける。今日の視力検査では、特に進んでいないようだ。
 11月になって、ようやくパソコンの眩しさに慣れて、閲覧するなど時間が長くなってきていた。
 診察で緑内障の要因でもある眼圧が高くなっているそうで、医師に確認すると、パソコンはほどほどにしてくださいと言われる。眼圧との関係は分らないが、眼によくないことは、そうだろうなと思う。