日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎日々彦「詩句ノート」 正木ゆう子『羽羽』など

〇正木ゆう子句集『羽羽(はは)』(春秋社、2016)から
(能村登四郎に「老残のこと伝はらず業平忌」あれば)
絶滅のこと伝はらず人類忌

 これは、東日本大震災と母の死が強く反映されている。正木ゆう子句集『羽羽』のなかの一句。
「あとがき」に〈東日本大震災が起こった後では、時代の責任を感じると口を噤んでしまいがちになるが、震災、原発、被災地詠に関しては、記録のためにも詠んでいくことも大事だと思っている。だが、答えの出ない自問自答の感があり、それでもありのままを出していこうと思っている。(要約)〉とある。
また、「あとがき」を執筆中に在所の熊本で大地震があり、〈阿蘇の「蘇」は「蘇る」であることに気づき、大自然はこれまでも、こうして動き続け、蘇り蘇りしてきたのでしょう。〉と結んでいる。

 

 上記の一句からは、師の能村登四郎をはじめ様々な人から受け継いだものに導かれて、今の私がいて、そこから次へとつながっていくという、「伝わる、伝わらず」についての印象のある句と感じた。
 時事的な社会事象を詠んだ俳句は、特に当事者でない場合、よほどこなれていないと、観念的になりがちになって難しいなと感じているが、記録の意味もあり、そこにこだわっていく姿勢は大切にしたいと思っている。

「他の印象句」
・(被災した子供たち)人類の先頭に立つ眸なり
・此処すでに母の前世か紫雲英畑
・夏に入る草葉の陰の線量も
・秋風のもの言ふ樟に会ひにゆく
・降る雪の無量のひとつひとつ見ゆ

 

〇2017年四季折々(1月8日~1月14日)
(1月8日)・松過ぎの街を清むる塵芥車

 町で塵芥車と行き会うことがある。三人一組で素早く集めながら次々に処理する。マンションの正月休み後の、山のようになっていたごみ収集は6日から始まり、その様子にすごいものだなと感じた。
 幸田文『都会の静脈』に、普段当たり前のように使っている下水の果てを探ろうと下水道と下水処理場を訪れる話がある。「何もかもいっしょくたになった水というより残骸に、むごいようにつらく臭う腐臭」の巧みな描写と、携わっている人たちへの「すいません」の念が伝わってくるエッセイである。
 そのような裏方仕事によってわたしたちの生活がスムーズにいっている面もあるのだなと思う。

(9日)・親は親子は子の門出成人祭

 ある共同体(村)で生まれ育った娘が20歳になった時、同期の子10人ほどで手作りの成人のお祝いを企画し、そこに招かれていた。知り合いの写真家、美容師も呼んで、賑やかな晴れやかな艶やかなものだった。殆どの子が村を離れていて、中卒などで苦労している話も聞いていて、親子ともども節目になったらいいなと感じた。

(10日)・地平線に落つる冬日ゆらゆらと

 居宅は東神戸港の海沿いにあり、はるかに地平線を見ることもある。どの季節でも部屋から見る海への陽の光はいいものだが、寒晴れの澄みきった冬の入り日はことさら趣がある。

(11日)・冴え冴えと山から海へ又三郎

 居宅の北は六甲の山並みが見え、南は東神戸港に広がっている。部屋を出ると、風の強さや体感温度にかなりの違いを感じる。宮澤賢治の『風の又三郎』は、さわやかな9月にあらわれるが、この日の風の流れにも登場を願った。

(12日)・句に籠めるいのちの熾火窓は雪

〈蒼穹の青閉じ込めて軒つらら〉 亡くなる直前に友人が電話で伝えてきたという、知人F氏のブログから。
 ブログは、〈君が自作俳句の1音ずつを伝えようとしてきたこと。その君の必死に、私も必死に食らいつこうとしたこと、それは鬼気迫る体験だった。終わったあと私がまず感じたのは、死に直面した人間の精神のことだった。〉など綴られている。

(13日)・(芦屋川)川涸れて地貌の野趣のいや増せり

 自宅近くを散歩すると、家族のようにして犬と一緒に歩いている人とよく出会う。下流から海と山が一望に望める芦屋川辺沿いは子どもからお年寄りまで、犬を伴っての遊びや散歩コースになっている。天井川でもある芦屋川は、上流の山側は水を湛えているが、下流の海側は水が涸れて川底が剥き出しになっていることが多く、野趣に富んでいて独特の雰囲気がある。

(14日)・矢のごとき五臓突きさす寒の波

 今日の寒波は列島に猛烈な影響を及ぼしているという。大変な状況にある方もおられると思うので、何とかしのいでほしいと願っている。
 どちらかというと穏やかな冬の神戸でも、夕方に、寒波にまともに当たると、体感では鋭角状のもので突かれているようなイメージがあった。なお、寒波は北極圏からの冷気の塊だそうで、規模、性格の激しさは冬の季節風の比ではないそうだ。