日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎大岡昇平『俘虜記』『野火』を読んで

※『俘虜記』『野火』を読んで(1)

〇事態は動物的ですらなかった
 敗戦濃厚な戦時中という異様な状況で、死と直面している人々の意識、感覚などの混乱と交流を、心理分析と戦場空間に広がる自然、風景を秀麗なレトリックで随所に織り込みながら描いたものだ。
『俘虜記』は作者の体験に基づいて主人公を設定し、それを第三者の視点で分析を加えたもの。『野火』は、『俘虜記』をふまえて、他者たちの体験の数々を自身の体験に照らし合わせ主人公を設定し、それに第三者の視点で分析を加え描いたフィクションである。

『野火』の「展望」連載(中)の1951年6月に『母』というエッセイ仕立ての文がある。そこのおしまいにきて、それまでの流れとは少し異質な次の文章がある。

 今でも私は感情的窮境に立つ時、そっと
「お母さん、助けて下さい。」
と呟くことがある。呟いてみても、何の役にも立たないのはわかってゐるが、暫くでも心が静まるぐらゐの効目はある。
しかし戦場では、幾多「きけわだつみのこゑ」の証言にも拘らず、一度も母の名を呼ぶ気にならなかったことも附け加へておく。事態は動物的ですらなかった。(昭和26年6月)(現代日本文學大系85『大岡昇平 三島由紀夫集』―『母』、筑摩書房、1985より)

 

 その文章で私は「事態は動物的ですらなかった。」との表現が気にとまった、
『俘虜記』『野火』を再読するに際して、二つのことを意識した。一つは、死に直面したときの感覚や意識の流れと、「生きる」とはどのようなことなのか。
 もう一つは、人間的と動物的の違い。動物的ですらなかった。とはどのようなことなのか

 最近私自身が、「死」について考えることが増えたこと。15年程携わっている福祉活動で、惚けが極度に進んだ方や精神の極度に破綻をきたした人などと接する中で感じてきたことでもある。

 このことについて、意識、認識過程と感覚のとまどいや混乱という角度からみていく。
 人も含め動物は、生まれつき持っていると考えられる行動の様式や能力で、各種の変化に対し、その種に特有な反応形式がある。数多の動物において、主にそれを担っていくのは、体に備わっている感覚機能である。それに加えて人間は、意識の働き(ことば)でものごとをとらえ、概念化する特徴があり、それの極度に肥大したのが近代の文明社会に暮らしている私たちである。

 極度に肥大したということは、本来的に持っている感覚機能を鈍らせ、素朴な感覚とはなはだかけ離れたことを考える可能性もあるということになる。
 さらに生まれつき持っているだろう、よりよく生きたいという本能的な欲望もあり、納得いくように、ときには強引にでも、ものごとを自分の都合のよいように解釈することになり、それに付随するように感覚も変化していき、そのとらえ方が言動の指針となる。

 

『野火』のなかで、主人公をはじめ殆どの人に、特異な場面の中で、意識的にも無意識的にも自分の気持ちが収まるように、ものごとをとらえ、その意識のあり様にあわせるように感覚や言動が変化していく様子が仔細に語られている印象を受けた。
 私に引き付けても、このような意識や感覚で行動する可能性もないとは言い切れないと思った個所もいくつもある。対照的に、空間や自然描写の端麗な文章が随所にちりばめられ、その効果も伴って、ぐんぐん引き込まれながら読み進んでいく優れた作品となっている。

 また、生きることの執着、何とか生きてやるとの意識に合わせるように、ものごとの捉え方がなっていき、生への執着意識や感覚が際立っていくような面もある。それはある意味、自意識を維持するために仕方のないようなことでもある。
意識の整合性がほとんどとれなくなったり、感覚とはなはだくい違ってきたりすると、狂気の世界に入っていくことになる。 

 おそらく仲間を撃ったと思われる「転身の頌」の終わりは、
「ここで、私の記憶は途切れる------」となる。
続く三七から三九までの終章は、主人公は精神病院の一室にいると設定し、現場を知らないのに、もっともらしい分析を加える心理分析家を狂言回しに登場させながら、主人公はこのように感じ、考えただろうという、第三者の目である作者の述懐になっているのではないかなと感じた。

 

『俘虜記』『野火』を読んで(2)  

〇映像として焼き付いた戦時体験
 ​・〈「死ぬまでの時間を、思うままに過すことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただその時を延期していた。」

「死は既に観念ではなく、映像となって近づいていた。私はこの川岸に、手榴弾により腹を破って死んだ自分を想像した。私はやがて腐り、様々の元素に分解するであろう、三分の二は水から成るという我々の肉体は、大抵は流れ出し、この水と一緒に流れて行くであろう。
 私は改めて目の前の水に見入った。水は私が少年の時から聞き馴れた、あの囁く音を立てて流れていた。石を越え、迂回し、後から後から忙しく現われて、流れ去っていた。それは無限に続く運動のように見えた。
私は吐息した。死ねば私の意識は無となるに違いないが、肉体はこの宇宙という大物質に溶け込んで、存在するのを止めないであろう。私はいつまでも生きるであろう。
私にこういう幻想を与えたのは、たしかにこの水が動いているからであった。」(八・川)

・「私は自分が生きているため、生命に執着していると思っているが、実は私は既に死んでいるから、それに憧れるのではあるまいか。
この逆説的な結論は私を慰めた。私は微笑み、自分は既にこの世の人ではない。従って自ら殺すには当らない、と確信して眠りに落ちた。」(九・月)〉
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「死」は観念ではなく映像となってさし迫ってくるのが戦場の一つの特色なのだろう。
「死」を意識することは、必然的に「生」をも意識することにつながる。

 この小説で、主人公の認識過程は、多くの矛盾を抱えた観念的な思考、知的な筋道だった状況分析と心理描写、細密な自然描写とそれに呼応する感度が、相互に刺激しあいながら意識を変化させていく。それが野火のごとく随所に燃え上がり、小説全体を貫いていく。

 今も紛争や戦争が絶えない世の中での、当事者や渦中の人々が数多いる。統計的には世界人口の3人に1人、20億人以上が戦禍に巻きこまれているという、そのような社会であることを意識のどこかにおいておきたい。 

 毎年8月頃になると、太平洋戦争や原爆投下あるいは沖縄戦のことなどが、より一層、報道機関の話題になり、新たな資料も公開されていく。ある種の制約は感じるが。
 だが、戦後70年で、当時の状況を知る人も少なくなり、それを伝えるべく語り部たちも老齢化している。

 

 先日逝去された鶴見俊輔氏は、戦争にまつわる課題に生涯向き合い続けた人として、終始こだわりを持ち続けていた社会人として、私に大きな影響を残した。
 各種報道に頼るだけではなく、限界もあるだろうが、ささやかでもいいから、様々な角度から紹介や考察を加える人がいることも大事にしたい。

 また、次のようなことも考える。戦争などで「死」と直面することは御免こうむりたいが、「死」や生の基本となるような営みが見えにくくなっているのが、私達の暮らしている現社会である。

 人の誕生から、病気、介護、看護、看取り、死亡に至るまで、生命活動の多くのことを専門機関にゆだね、いのちを繋ぐために欠かすことのできない食料の生産過程・調達、下水処理や排泄物処理、防災、防犯などの多くも専門的にシステマティックに展開されている。

 生命を安楽に維持していくのに必要な基本的に直面せざるを得ないようなことを体験する機会が極端に少なくなっていて、意識せざるを得ないような状況に至らないかぎり、「死」したがって「生」も観念的なものになりがちになる。

 このようなことが極端に進むと、ありふれた暮らしの中で、ごく自然に、いのちの世話をし合いながら、お互いに助け合って暮らしていけるとの生活感情が薄まり、他とは関係なく個人的な裁量で暮らしていけるという錯覚を生じやすくなる。災害や病気、障害などで、そのことを実感するようになるが
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・〈「私は自分の動作が、誰かに見られていると思った。私は立ち止まった。しかし音もない暗闇の泥濘の中で私を見ている者がいるはずはなかった。私はすぐ自分の錯覚を嗤い、再び前進に戻った。
 しかし私は間違っていた。私を見ていた者はやはりいたのである。証拠は、見られているという感覚を否定してからは、私の動作は任意、つまり自由の感じを失い、早くなくなったことである。」(二五・光)

・「私は誰も見てはいないことを、もう一度確かめた。
その時変なことが起った。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである。この奇妙な運動は、以来私の習慣と化している。私が喰べてはいけないものを喰べたいと思うと、その食物が目の前に出される前から、私の左手は自然に動いて、私の匙を持つ方の手、つまり右手の手首を、上から握るのである。」(二九・手)〉
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 主人公が「誰かに見られている」「私を見ている」のような表現は随所に出てくる。
 特に偶然的ともいえる状況下で、一人の比島の女を殺めることになったところからより一層でてくるようになる。
 あるときは、観念上の「神」であり、「殺した比島の女」であり、自分を狙う他者であたり。あるときは自然のものや万物であったりもする。そうじて、自分自身の理性的な「勘」であり、あるいは主人公の何ともいえない「おののき」なるものだったと思われる。

 戦争のような特異な状況に限らず、どのような人であろうと、一人の人間には多様な面があり、どのような人であれ大概、理性的な面もあり獣性的な部分もあるだろう。

 どのような面がつよく現れるかは、その人のそれまで培ったものが大きいだろうし、時代や社会の影響もおおいにあるだろうし、そのときの気分や体調、環境やあることに出会ったときの状況などにより、現れ方はいろいろあると思う。

 そのときに、自分の状況を客観的もしくは感覚的にも、その状況に捉われずにとらえことができるかどうかで、その後の言動が違ってくる。

 精神病院で、体験手記を書いている主人公に次の発言がある。
・「それでは今その私を見ている私は何だろう----やはり私である。いったい私が二人いてはいけないなんて誰が決めた。」(三九・死者の書)

 

 小説の主人公にある種共感するところは、自分の抱えている状況を、もう一人の私が見ていることを、感覚的に、直観的にとらえていることにある。

 何とかよりよく生きようとする意識における種々の思惑に、獣性なるものと理性なるものとの葛藤が強く現れてくる。
 人間らしさの左手が獣性的な右手を、右半身の欲情を左半身の理性が「待った」をかける。

 人の持っている認識過程の醍醐味は、内なる自分を外から「他者なる私」が見ることができる、メタ認知能力である。
 そのようにして、自然科学が数々の成果をあげ展開してきた。
人の「脳と心」のあり様に関心を抱き始めた人たちも、内なる自分の「脳」で、普遍的な「脳と心の仕組み」を探求すするという難問に直面している。

 

 人間的と動物的の違いについて、辞書(『広辞苑第五版』)には次のようになっている。
 人間的:動物的・機械的などに対して、人の行為・感情の人間らしいさま。特に、思いやりやあることなどにいう。
 動物的:①知的な判断に基づかず、動物としての本能に基づいているさま。②言動が粗暴なさま。
 理性:①概念的思考の能力。実践的に感性的欲求に左右されず思慮的に行動する能力。古来人間と動物とを区別するものとされた。②真偽・善悪を識別する能力。
 獣性:①獣類の性質。②人間が持っている肉体的欲望などの動物的な性質。

このように説明されても、同語反復的で、人間的と動物的の違いについて、あまり伝わってこない。

 

 私自身の人が持っている認識の仕方として大切にしたいことをいくつかあげる。どれほどクリアしているのかは心もとないが。
・自分と出会うものをはかる物差しは、自分であり、他の人とは異なっていて、自分がそのようにとらえたにすぎない。正しい・間違い、よい・わるいとは無関係である。

・したがって、自分が見たり聞いたりしたことを、そのまま信じない。自分が知っていることをまずは疑ってみる。自分とは見解や感じ方の違った人を、ひとまず尊重する。

・真偽、善悪、正常・異常、合理・不合理、常識・非常識の枠組みにとらわれない。むしろ正義、善意、公正中立などの抱えているよこしまな欲望に敏感でありたい。

・実際のところ私には分かっていないかもしれない。だから疑う、調べる、もっと考える。分かったような気がするが違っているかもしれない。そのように螺旋状態でぐるぐる考えることが、考えることの誠実な態様ではないだろうか。

 

『俘虜記』『野火』を読んで(3)

〇生と死のはざまで
・〈「この道は私が生まれて初めて通る道であるにも拘らず、私は二度とこの道を通らないであろう、という観念である。」
「こうして自然の中で絶えず増大して行く快感は、私の死が近づいた確実なしるしであると思われた。
 私は死の前にかうして生の氾濫を見せてくれた偶然に感謝した。」(二・道)

・「万物が私を見ていた。丘々は野の末に、胸から上だけ出し、見守っていた。樹々はさまざまな媚態を凝らして、私の視線を捕えようとしていた。雨滴を荷った草も、或いは私を迎えるように頭をもたげ、或いは向うむきに倒れ伏して、顔だけ振り向いていた。
わたしは彼等に見られているのがうれしかった。風景は時々、右や左に傾いた。」

・「『あたし、喰べてもいいわよ』
 と突然その花がいった。私は飢えを意識した。その時再び私の右手と左手が別々に動いた。
 手だけではなく、右半身と左半身の全体が、別もののように感じられた。飢えているのは、たしかに私の右手を含む右半身であった。
 私の左半身は理解した。私はこれまで反省なく、草や木や動物を喰べていたが、それ等は実は、死んだ人間よりも、喰べてはいけなかったのである。生きているからである。」(三十・野の百合)〉
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 以前の病気が昂じて肺病になることで、食糧の確保の困難な敗戦濃厚な小部隊で、やっかいもの扱いにされることになったところから小説は出発する。
 そこで、軍隊という個人の任意行動が極端に制限されている状況から、主人公は自分の任意の裁量で、行動することが多くなる。

 やがて、敵に囲まれた戦場にいるというはなはだ不自由な状況にも拘らず、「死ぬまでの時間を、思うままに過すことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有であった。」というような意識が生じる。

 主人公の意識展開は、絶えざる後退を続けながらも、「死」や「生」を自己の任意のもとにおこうとする中で、まわりの場・空間に対する感度が冴えわたってくるようになる。

「たといわれ死のかげの谷を歩むとも。ダビデ」と死の思いにとりつかれながらも、よりよく生きたいという身体が、周りの自然界と一つとなって感じるようになることもある。

 それに伴って、歩き考える場である道、野原、野火、月、陸路、草木、雨、光などなど万物が、不安をますときもあるが、孤独や不安を癒す同伴者として立ち現れてくるようになる。

 戦争によるいのちの維持さえ困難な状況に限らず、そのような状況ゆえに、感度が冴えわたったり、普段見過ごしていたことが見えたり、日常の暮らしでは何気なくやり過ごしてきたことが、心に迫ってくることもあるだろう。

「野の百合」の章は、「彼等に見守られているのがうれしかった」と主人公は、観念的ではあるが、自然万物の中で日常の暮らしではあまり考えることもなかったのであろう感慨に浸っている様子が伝わってくる。

 だがこのような状況だから、いろいろなことが感じられることでは決してないだろう。
 私たちの日常当たり前の暮らしの中から、余計な観念をそぎ落とし、そのもの自体とそれを包み込む場・空間にじっと見、耳を傾けていくと、違和感、おどろきなどのともなった感慨が出てくることもあるのではないかと思っている。

 

 このことは、優れた詩や俳句に触れることでも実感する。
『野火』を「死」と「生」に直面せざるを得ない状況での、主人公を取り囲む場・空間を歩き廻り続けることで、万物との出会いに感嘆し、人間のもつ不可思議な世界と向き合い、その意識と感覚の変容を描いた小説である。と大雑把にとると、私が関心を寄せている俳句に照らせば、それは芭蕉を始め、多くの優れた俳人の世界でもある。

 芭蕉を持ちだすまでもなく、日常当たり前の暮らしの中に、生きとし生けるものたちに寄り添い、「生や死」をはじめ、人間の持つ謎の世界にせまり、独特な内部世界を切り拓いて、わずか17文字に表現をしてきた人たちが数多いて、多かれ少なかれ、それに影響を受けた人たちによって、現在の俳句人口の多さとなっているのではないだろうか。

 芭蕉の俳句論に「俳諧は無分別なるに高みあり」というのがあり、印象に残っている。
 無分別とは仏教用語では「主体と客体との区別を超え、対象を言葉や概念によって把握しようとしないこと」とあり、その他の俳句論と重ね合わすと、知識や経験によって物事を捉えるのではなく、対象には子どものように邪念のない眼と好奇心をもって素直に向かい、無心に接することが大事となる。

 環境はその人の在りように様々な影響を与える。一方、無心に対象と交流することを阻む、人が抱えている水ぶくれになった観念、邪念があり、それを削ぎ落とし、素直におどろきを感じられることが大きいのではないか。身軽になるとはそういうことではないだろうか。
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・〈「日常生活における一般の生活感情が、今行うことを無限に繰り返し得る可能性に根ざしているという仮定に、何等かの真実があるとすれば、私が現在行うことを前にやったことがあると感じるのは、それをもう一度行いたいという願望の倒錯したものではあるまいか。未来に繰り返す希望のない状態におかれた生命が、その可能性を過去に投射するのであるまいか」(一四・陸路)

・「それからなほ幾日か、私が独りで歩いた時間は、暦によって確認されるが、その間私が何をし、何を考えたを思い出すのに、著しい困難を感じる。
 無論我々は過去を尽く憶えているものではない。習慣の穴を別としても、重なる経験が似通っているため、後の経験が前のものを蔽い、奇妙な類似化が行われる。この種の累積だけが自我の想起可能の部分である。」(二七・火)

・「誰が屍体の肉を取ったのであろう――私の頭は推理する習慣を失っていた。私がその誰であるかを見抜いたのは、或る日私が、一つのあまり硬直の進んでいない屍体を見て、その肉を食べたいと思ったからである。」

・「この私の欲望が果して自然であったかどうか、今の私には決定することが出来ない、記憶が欠けているからである。」

・「私の憶えているのは、私が躊躇し、延期したことだけである。その理由は知っている。
 新しい屍体を見出す毎に私はあたりを見廻した。私は再び誰かに見られていると思った。(二八・飢者と狂者)

・「不本意ながらこの世へ帰って来て以来、私の生活はすべて任意のものとなった。戦争へ行くまで、私の生活は個人的必要によって、少なくとも私には必然であった。それが一度戦場で権力の恣意に曝されて以来、すべてが偶然となった。生還も偶然であった。その結果たる現在の私の生活もみな偶然である。今私の目の前にある木製の椅子を、私は全然見ることが出来なかったかも知れないのである。
 しかし人間は偶然を容認することは出来ないらしい。偶然の系列、つまり永遠に堪えるほど我々の精神は強くない。出生の偶然と死の偶然の間にはさまれた我々の生活の間に、我々は意志と自称するものによって生起した少数の事件を数え、その結果我々の裡に生じた一貫したものを、性格とかわが生涯とか呼んで自ら慰めている。ほかに考えようがないからだ。」

・「もし私の現在の偶然を必然と変える術ありとすれば、それはあの権力のために偶然を強制された生活と、現在の生活とを繋げることであろう。だから私はこの手記を書いているのである。」(三七・狂人日記)〉
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 大岡昇平は、観念ではなく映像として焼き付いている戦時体験を、様々な記憶が欠けているが、それを想像力で補い、事後の膨大な資料を駆使しながら、この後も『レイテ戦記』など、それにまつわるものを書き続けた。

 多くの犠牲者を出さずにはおかなかった太平洋戦争の実相を知りたい、知らせたいという欲求があり、その当時の作者を含め、認識過程と感覚の混乱を、きちんと分析し二度と同じようなことにならないとの自戒も含めて、敵味方関係なく、戦場に荒らされた現地の人々など、すべての戦争犠牲者への鎮魂歌として結実している。また、史実として太平洋戦史の研究上大いに貢献し続けているとも言われている。

 

 小説の中に、次の文章がある。
・「この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の山中で遇ったような目に逢うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。」(37・狂人日記)

 

 この状況は、私たちの現在にもつながっている。自己利益のために嘘、偽りを繰り返してきた紳士諸君が、依然として大きな力と強い発言力を持っていて、無自覚ともいえるように、再び彼らに欺されたいらしい人たちも、少なからずいるのではないだろうか。

 最後にカニバリズム(人肉を食うこと。また、その風習)に触れる。
 私自身の感覚からすれば、大昔のことは分からないが、近来になっても、極限状況では、それもありうるのではないかと思っている。

 100年単位で見ていくと、近来には、天明大飢饉のようなことは度々起こっている。
 三浦哲郎『おろおろ草紙』(4編の歴史小説、講談社文芸文庫、2000)には、天明の大飢饉に見舞われた奥州での、庶民の強靱な生きざまと、生に執着する人々の業を直視し、人間存在の根本に迫る人肉食などを扱っている小説で、『天明日記』をふまえながら書かれたといわれている。

 飢饉に限らず、「姥捨て」、「間引き」など度々起こっている。近来まで人類の歴史は、人が生きていくのに絶対欠かすことのできない「食」にともなう安定確保の文明史でもある。

 よく、戦争は発明の母とか「戦い」によって様々なことが解決されてきたとも言われる。また、「殺しあってきた人間存在」という認識もある。一方、各種の英知と相互扶助により、様々なことが少しずつ解決されてきて、そのことが文明史の大きな役割を担ってきたことも押さえておきたい。
 現世界では、まだまだ飢えの不安にさらされている人が圧倒的に存在し、「戦う」ことでものごとを解決していこうとする気質がいまだに根強いが。

 なお、『野火』のような様々なことを考えさせてくれる優れた文学作品に、ことさら人肉食に焦点を当てることはしないでいいのではと私は思っている。