日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎見た目の秩序と乱雑さ 2(エントロピー増大の法則)

〇しわよせの構造
 先日のブログで、自分たちの生命や生活の秩序を維持しようとする活動は、往々して、エントロピーの増大を先延ばしにしている、あるいは逆に、しなやかで揺らぎのある秩序を削いでいるのではないのかということに触れた。

 家庭菜園を始めてから、JA(全国農業協同組合)出雲をはじめ様々な講習会に参加した。主に各種育て方についての講習会だが、除草剤、殺虫剤、農薬などの話で盛り上がることが多い。家の周りの近所でも、当たり前のように使っている人がほとんどだ。

 私たちの暮らしの基幹となっている、持続可能な農業、林業、漁業などのあり方として、自然と人為の調和のもとに、大地や海・川など自然の持つ力、生くものや農作物が本来もっている力を最大限に引き出し、環境負荷が低い生産を目指していくことが言われている。

 現在のほとんどの慣行農法は、生態系のもっている秩序性を削いでいっているのではないのかと思う。農作物の改良と様々な農薬との、負の連鎖を繰り広げていることをはじめ、自然との調和というよりも人間による支配欲望が強くなっている。その異常さに気づいて、様々な模索、研究を続けて独自の農法を展開している実践家も少なからずいるが、総体的に一次的目前の結果に捉われている状況が優勢になっているように思っている。

 

 中井久夫は「戦争と平和 についての観察」で、次にように述べている。
「負のエントロピーを生み出すためには高いエントロピー(無秩序)をどこかに排出しなければならない。部屋の整理でいえば、片づけられたものの始末であり、現在の問題でいえば整然とした都市とその大量の廃棄物との関係である。かっての帝国主義の植民地、社会主義国の収容所列島、スラム、多くの差別などなどが、そのしわよせの場だったかもしれない。」
(『樹をみつめて』みすず書房、2006年より)

 

 日本の国をみても、しわよせの場や構造があることで、掃除機の中に高いエントロピー(乱雑さ)を閉じ込めているようなことがある。
 沖縄戦の延長で米軍基地を押し付けられた沖縄地域の構造的差別。併合後の日本化を押しつけていた朝鮮半島出身者への戦後も続く差別政策。精神障害者の病院隔離政策などなど、最近では、東日本大震災で中央が地方に原子力施設を押し付ける構図が浮かんできた。

 大幅にエントロピーの増大を促すのは戦争である。戦う相手を混乱状態に、無秩序に陥れることが、手段よりも目的になりやすい。だが戦争は、ほとんどの場合、自国の平和、安全保障、理念の押しつけ、秩序維持のためになされる。

 戦争によってもたらされるエントロピー増大は、戦争終結後に、より大きくなる傾向がある。
紛争地区の人々をはじめ、そこに関わった戦闘員、後方部隊の人々やそれらの家族、関係者などに多大な影響を及ぼし、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などになる人や心身の困難さをきたす人の割合も、異常に高い。


 PTSDとは、命の安全が脅かすような出来事、天災、事故、犯罪、虐待などによって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害である。しなやかでゆらぎのある秩序どころか、秩序そのものが保てない症状だ。

 5月27日に、「ハートネットTV 福島避難者アンケート▽原発と心の傷PTSD」が放映された。
「ハートネットTV◇福島第1原発の事故から5年目の避難者を見詰める。今なお避難生活を余儀なくされている12万人の人々。NHKでは大学と共同で避難者1万6千人にアンケート調査を実施し、住まいや経済状況、帰還の意向、心身の健康状態など、100項目にわたって現状を尋ねた。その結果、4割を超える人々が心的外傷後ストレス障害(PTSD)になっている恐れがあることが判明。背景には前例のない長期避難や経済的困窮、人間関係の悪化などがあることが見えてきた。」(ハートネットTV ⁻番組詳細から)

戦争とは直接的に関係づけることはできないが、原発(核発)にまつわる事故のエントロピー増大の法則は、多くの人々の心身の秩序を壊すことで、5年後の今も続いている。

【参照資料】
※中井久夫「戦争と平和 についての観察」の、3状態」としての平和より抜粋戦争が「過程」であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の「状態」である。だから、非常にわかりにくく、目に見えにくく、心に訴える力が弱い。
 戦争が大幅にエントロピーの増大を許すのに対して、平和は絶えずエネルギーを費やして負のエントロピー(ネゲントロピー)を注入して秩序を立て直しつづけなければならない。一般にエントロピーの低い状態、たとえば生体の秩序性はそのようにして維持されるのである。エントロピーの増大は死に至る過程である。秩序を維持するほうが格段に難しいのは、部屋を散らかすのと片づけるとの違いである。戦争では散らかす「過程」が優勢である。戦争は男性の中の散らかす「子ども性」が水を得た魚のようになる。

 ここで、エントロピーの低い状態を「秩序」と言ったが、硬直的な格子のような秩序ではない。それなら全体主義国家で、これはしなやかでゆらぎのある秩序(生命がその代表である)よりも実はエントロピー(無秩序性)が高いはずである。快適さをめざして整えられた部屋と強迫的に整理された部屋の違いといおうか。全体主義的な秩序は、硬直的であって、自己維持性が弱く、しばしばそれ自体が戦争準備状態である。さもなくば裏にほしいままの腐敗が生まれている。

 負のエントロピーを生み出すためには高いエントロピー(無秩序)をどこかに排出しなければならない。部屋の整理でいえば、片づけられたものの始末であり、現在の問題でいえば整然とした都市とその大量の廃棄物との関係である。かっての帝国主義の植民地、社会主義国の収容所列島、スラム、多くの差別などなどが、そのしわよせの場だったかもしれない。それでも足りなければ、戦争がかっこうの排泄場となる。マキャベリは「国家には時々排泄しなければならないものが溜まる」といった。しばしば国家は内部の葛藤や矛盾や対立の排泄のために戦争を行ってきた。
(中井久夫『樹をみつめて』「戦争と平和 についての観察」みすず書房、2006年より)