日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎いのちをめぐる対話から

〇責任追及は横において
​ Facebookの投稿や知人のHP『ビジョンと断面』(現在は閉じられている)の、「責任追及は横に置いて」 遺族とJR西日本の「いのちをめぐる対話」を読んで考えたこと。

 これは、NHK・クローズアップ現代(2015年4月20日放送)「いのちをめぐる対話 ~遺族とJR西日本の10年~」から、F氏自ら抱えている問題意識に照らしての考察だ。※インターネットで内容が詳細に紹介されていて、YouTubeの動画で見ることが出来る。)
 番組紹介は次のようになっている。
「106人の乗客が亡くなったJR福知山線脱線事故から10年。事故の背景を知りたいと考える数人の遺族とJR西日本の間で、『安全』のあり方をめぐる『対話』が行われていた。『同じテーブルにつき、共に事故原因を考えよう』という遺族のよびかけを、JR西日本も受け入れ、事故を起こした企業と遺族による、かつてない対話が始まった。最初は大きな隔たりがあった両者の意識。しかし、『家族はなぜ死ななければならなかったのかという遺族の問いは、少しずつJR西日本の意識を変化させていった。双方のインタビューなどをもとに、『異例の対話』がもたらしたものを見つめる。」とある。

 この経過については、F氏が詳細に要点を捉えている。ゲストの柳田邦男氏は、
「被害者がなぜこんな事故が起こったのかと追究する場合に、日本の歴史の中ではほとんど責任追及のような形で行われる。--------組織っていうのは必ず自己防衛、できるだけ責任を回避してっていう組織防衛に逃げてしまうんですね。さまざまな事故の背景要因っていうのは明らかにされない。ところが今回、なぜ大きな実りがあったかというと、被害者が責任追及したいんだけれども、本当は真実を明らかにするのを優先するために、責任追及を横に置くという、これを会社側との間で合意したうえで議論したということが一つ。それから、どんなに納得できないとか感情が高ぶっても議論を続けるという、この忍耐の姿勢。これを会社側もご遺族の方々も共に守り抜いたということが、1つの到達点に行く大きな要因だったんですよね。」と述べている。

 この30分程の番組は、経過をよく纏めていることと、遺族の方々やJR西日本の方々の表情にも真摯なものが伝わってきて、優れたプログラムだと感じた。

 何か事件が起きると、すぐに白黒つけたがる単純思考にはまって、犯人捜し、背景を考えるより分かりやすい解釈・要因捜し、並行して、責任追及・責任問題、加害者―被害者の構図、さらに被害の関係者に執拗に迫ったり、加害者の親などの落ち度に焦点を当てたりする。

 今回の「いのちをめぐる対話」のように、責任問題を棚上げし、遺族と会社が一緒になって、ひたすら話し合いを重ねることにより、10年を経て、事故の直接原因、背景要因も含めて分かってきはじめ、今後も引き続いて取り組んでいきたいという経過のようになったことに共鳴した。事実究明の一つの参考に与えする優れた実績だと思う。

 

 その後の現状について、いろいろ調べてみた。
 事故発生路線である福知山線は、阪急電鉄の宝塚本線・神戸本線・伊丹線と競合しており、他の競合する路線への対抗策と同様、秒単位での列車の定時運行を目標に掲げていたとされている。ダイヤ改正のたびに所要時間を短縮する「速達化」が繰り返された。当該事故発生前は運行本数が多く、速度も比較的高い大都市近郊路線である。 これらのことは、現在でも同じような状態で、尼崎では朝5:30~夜中⒓:30まで5分~10分刻みで200便以上走行している。
(Wikipedia、運行ダイヤ一覧などより)

 これは会社の体質もあると思われるが、多かれ少なかれ大都市近郊の路線特有の様相ではないだろうか。
 より早く、効率的に、無駄なく、制限速度ぎりぎりの運行表、時間厳守で、朝から夜中まで、できるだけ多くの人に利用してもらうように。
 これらのことは、前のめりになっている社会特有の、あるいは多くの住民たちの無意識的ともいえる要望ではないのか。
 そのような状況を産み出すような大都市社会なのではないのか。
 遊びやゆとりを全く感じことができない、何だかヘンな現象だと私は感じた。

 

この事故は原発事故と重なって見える。
 人々の暮らしやすさを実現させるため、エネルギー確保の大きな目的で、産業活動があまりない地区に原子力発電所が作られてきた。
 地震の多い日本列島での原発に懸念する専門家などが危惧を提唱しても。ほとんど無視されたような経過で、多くの地域住民も地方活性化の名目で積極的に迎え入れてきた。
 だが、今度の東北大震災により、その安全性が大きな問題としてクローズアップされた。

 

 村上春樹はあるインタビューの中で次のように述べている。
【▽「核発」と呼ぼう (聞き手は共同通信編集委員・小山鉄郎)
―村上さんは1997年刊行のエッセー本で「原子力発電に代わる安全でクリーンな新しいエネルギー源を開発実現化すること」について既に書いている。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(1985年)などの作品に出てくる発電所も風力発電です。
村上:地震も火山もないドイツで原発を撤廃することが決まっているわけです。危険だからという理由で。原発が効率的でいいなんて、ドイツ人は誰も言っていません。
―読者との交流サイトで「原子力発電所」ではなく「核発電所」と呼ぼうと提案していますね。
村上:「ニュークリアプラント(nuclear plant)」は本来「原子力発電所」ではなく「核発電所」です。ニュークリア=核だから。原子力はアトミックパワー(atomic power)です。言いかえているのでしょう。今後はちゃんと「核発電所」「核発」と呼んだらどうかというのが僕からの提案です。】(山陰中央)新報から転載)

 

 二度の原爆投下とビキニ環礁での被爆で、「核」に敏感なはずの日本社会で、慎重に考えずに、あまりにも安易に無防備に私たちが取り入れてきた。私たちの快適な暮らしに直結するエネルギー確保の手段として、当たり前のようにその恩恵によくしている。ことさら平和利用という言葉が出てくるのは、逆に危険なものだということになる。
 そのような認識のもとで、ではエネルギー問題をどのように考えていくのか、様々な角度からの予測を充分に検討し、関係者の間で粘り強く対話を重ねていくことになる。それがなされていなかったことが、今度の最大の欠陥であり、今後の重要な課題となる。

 先の番組で柳田氏は「古い事故の考え方は、現場の誰かがミスをして破綻につながったということで終わっていた。新しい事故の捉え方は「組織事故」。つまり組織の様々なところに落とし穴や見落としがあり、それらが鎖状にいろんなリスク要因がつながって破局が来る。------技術は進む、事業規模は大きくなる、そういう中で巨大企業というのはいっぱい落とし穴を抱えるので、それが重なり大きな破綻がくる」(要約)

 

 砂漠化の多くは人類活動によって引き起こされたものと言われている。最近の自然災害、事故の一つの特徴は被害の巨大化である。これについても、現社会の価値観(効率性、利便性、経済性、際限のない開発)などの要因が色濃く出ていると思う。

 私たちの現実把握や思考は、自分が所属している社会的な構造に規定されている。所属する構造には民族、国家、地域、言語、文化、社会的階層などがある。
それは個々人の主体性とは無関係に、意識的にあるいは無意識的にそうした構造に従って暮らし、自分の属す社会の構造から大きな影響を受けている。
 人間が社会構造を作り出すのではなく、社会構造が人間を作り出す。その社会に暮らす人々によって社会構造は徐々に変化していくが。

 つまり、今度の事故原因の会社の当事者は、JR西日本の仕組み、構造の中で仕事をしているし、会社は関西圏の要望に応えているつもりなのでしょう。

 

 また柳田氏は次のことを述べている。

「エレベーター事故でも、原発事故でも、責任回避的なそういう刑事罰の問題、訴訟の問題、そういうところだけで責任追及がなされがちなんですが、やはりもっと根本的に安全というのを考えたときには、そういう被害者の視点に立って、上からの目線では見えないものをどんどん発見して、その悪の連鎖を防いでいくっていう、この取り組みが問われている。

 そういう意味では、このJR西日本が被害者と対話をして、新しい取り組みを始めたっていうのは、これからの企業の安全取り組みの1つの新しい道を開く窓を開いた、あるいはドアを開いた、そういうものだというふうな認識が必要だと思うんですね。」(柳田邦男談)