日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎東日本大震災後の中学生の育ち(NHKスペシャル「命と向き合う教室」から)

〇命と向き合う教室
 昨日(29日)にNHKスペシャル「命と向き合う教室」をみた。『被災地の15歳の1年の記録』というサブタイトルだ。

 番組紹介には、「東日本大震災から4年。宮城県東松島市の鳴瀬未来中学校の3年生82人が、1年間かけて授業で「命」と向きあった。震災を体験した生徒同士が、毎月1回、作文を発表し、それに対する感想を伝え合った。親しい人を失った悲しみを誰にも打ち明けられずに抱え込み、心にふたをしているように見える生徒たちを心配した教師が、児童心理や教育学の専門家と相談しながら始めた。」(山陰中央新報から転載)とある。

 このように、中学生たちの授業現場にTVの撮影が入ることについては、生徒たちへの充分な配慮がなされなければならない。

 が、大震災で家族を亡くした中学生の悩みを、ここまで丹念に掘りさげ、1年間にわたって記録した番組を作成したのは、子どもたちにとって、一つのフォローアップの役割を果たしたかもしれない。と思わせてくれるような貴重な実践記録であった。多くの方々の協力があったと思われる。

 津波などで家族を失った中学生たちに、自分の本当の気持ちを作文に書いてもらうのは大変だったに違いない。お互いに真剣に向き合わざるを得ない、月1回の「作文」、「発表」、「感想」の繰り返しによって、みんなのわだかまりが解消されていく様子が描かれていた。

 そして三月、家族を失った人も多くいるだろう在校生に見守られながら、無事卒業式を迎え、それぞれの夢を心の内に秘めながら、それぞれの未来へ一歩踏み出すまでの15歳の1年を見つめる記録だ。

 

 明るくリーダー的存在として活発に活動し、悲しみを表に出さなかった子が、
「深い暗闇に閉じ込められた気分。夢の中で亡くなった父母の方に、一生懸命手を伸ばそうとするが届かない。届かないと実感しているのに、手を伸ばし続ける自分が嫌」といったような作文を書いて読んでいた。作文を聴いた友達が、

「同じ年齢なのに知らないことがいっぱいあることに気づいた」、
「わたしたちが暗闇を開けてあげなければ」、
「もっと他人を頼っていいんだよ」、
「さりげなく助けてあげたらいいんじゃないかな」、
「少しずつ解決していけば」等々、同級生が苦しみを分かち合おうとしている。
 本人も「みんなこんなに思ってくれてたんだ」と、こらえきれずに絞り出すようにいう。このような事例が次々紹介される。

 親や兄弟姉妹を亡くした中学生たちが「お互い気を使いすぎて踏み込めなくて」、「自分の心の中を人に出すのは恥ずかしい」、「人に頼ることは迷惑をかけること」と感じ、ひたすら内にこもって悩み続けたり、表面的に明るく振る舞っていたりする人も多いだろう。

 子どもたちの本当の思いを「作文」という形でみなの前に差し出し、時間をたっぷりかけて、お互いが相手のことを考え、涙ながらに体験を吐露する友人に、同級生がことばを掛け合い、その苦しみをクラスのみんなが共有し、理解しあうことは、ともすればかたくになりがちな、多感な中学生の心を開かせ、お互いを生きている人として尊重するようになる。

「命と向き合う授業」は、心のケアにつながる可能性があるだけでなく、人が抱える痛みに思いをはせ、いたわり支えあうという、人として最も大切なことを学ぶ場にもなったのではないだろうか。

 最後の授業のまとめとして「命とは?の問い」があった。「簡単に答えはでない 答えの見つかるものではない」といいながら「(人間とは)強くも 弱い 美しい 輝きキラキラ」というようなことを書いている子もいた。

 

 【参照資料・詩】
「いま始まる新しいいま」川崎 洋

心臓から送り出された新鮮な血液は
十数秒で全身をめぐる
わたしはさっきのわたしではない
そしてあなたも
わたしたちはいつも新しい

さなぎからかえったばかりの蝶が
生まれたばかりの陽炎の中で揺れる
あの花は
きのうはまだ蕾だった
海を渡ってきた新しい風がほら
踊りながら走ってくる
自然はいつも新しい

きのう知らなかったことを
きょう知る喜び
きのうは気づかなかったけど
きょう見えてくるものがある
日々新しくなる世界
古代史の一部がまた塗り替えられる
過去でさえ新しくなる

きょうも新しいめぐり合いがあり
まっさらの愛が
次々に生まれ
いま初めて歌われる歌がある
いつも いつも
新しいいのちを生きよう
いま始まる新しいいま
(川崎 洋『埴輪たち』思潮社、2004より)