〇東日本大震災支援活動記録集から
様々なところから、手紙、メール、機関誌などが送られてくる。私も手紙やメールで交信をしている仲間や知人もいる。今年から個人的にブログも作成し、考えていることなどを発信している。
そのなかで、最近心を動かされたのは、日本精神保健福祉士協会編纂の「 東日本大震災支援活動記録集」である。
「はじめに:この東日本大震災・支援活動記録集は、公益社団法人日本精神保健福祉士協会が取り組んだ災害支援の実践を記録として編纂することで、すべての構成員が活動の概要を共有するとともに、活動から得られた教訓や課題を精神保健福祉士による災害ソーシャルワークの検証材料の一つとするということが企画の趣旨である。しかしそれ以前に東日本大震災の記憶を風化させない、今なお経済的にも社会的にも絶望的なダメージを受け、癒すことのできない心の傷を負っている人々のことを忘れない、そしてその苛酷な現地で支援を続ける仲間を支援したい、この思いをすべての構成員の皆様と共有するための存在としたいというのが編集委員一同の祈りにも似た願いである。」
日本精神保健福祉士協会による災害支援の記録は、これまでも機関誌とともにパンフ形式で度々発信されてきた。一つの通過点として、その4年間の活動をまとめるべく編纂したものである。
島根県の私の関係している団体などから、多くの人が支援に行き、その絞り出すような報告に考えさせるようなことが多々あった。
その活動記録集には、20人以上の執筆者をはじめ様々な形式の記事や資料があり、この4年間の取り組みがA4・100ページあまりに収められている。
それぞれの報告記録はだいたい2ページ足らず。そこには、はなばなしいことは殆ど書かれていない。支援に赴いた多くの方々の無力感、無念が滲み出ている報告が多い。
それでも、被災地の人たちとともに歩み、自分のしてきたことを冷静に見つめ、被災地の現状を何とか多くの人に知らせていきたいという熱意のあふれた、しかも簡潔にまとめた文章ばかりだ。
島根から支援に駆け付けた知人の話によると、12日のブログでも紹介した中井久夫編著『1995年1月・神戸―「阪神大震災」下の精神科医たちー』のような現場でともに歩んだ生の記録は、今度の支援でも随分参考になったようだ。
・私はこの記録集の編纂には、公的なものに限らず、共に何かをしていく仲間などに発信していくときの大事なエッセンスが織り込まれていると思うので、ここでは、それについて考えてみる。
日記、備忘録や挨拶的な文書、形式的な文書とは別に、手段は何であれ、他の人たちに発信していくのは、つきつめると、「聞いてください(ほしい)、一緒に考えてください(ほしい)、知らせたい(知ってほしい)」の三通りになるのではないかと思っている。
いずれの場合でも、人の立場を尊重しながら、情理を尽くして語ることが欠かせない。その上で、書き手や読み手の「生きる知恵と活力」を高める文章であることが望ましいが。
近来、人と何かを共に進めていこうとしたとき、関わったことについては、できるだけ記録を残し、感想という形でみなに発信してきた。
それは、①人間の記憶が不確かであるという自覚、②自分のしていることを客観視していくことの誠実さ、③第三者にも理解してもらうことの大事さなどで、そして、検証、返信を重ねながらお互いの意見を確認したり顧みたり、訂正したりすることが、お互いの信頼感をまし、次に繋がっていくと考えている。
その辺りは研究者、科学者にとっては最低限の必須条件である。科学者が「このようなことを研究しています」と言っても、では具体的にどのようなことをして、そこからどのように課題を見つけて展開しているのかを記録に残し、第三者にあらん限りの情理を尽くした報告文書を発信し、あらゆる角度からの理解と同意を得ない限り、相手にされない。スタップ細胞論文の一番の問題点も、第三者に対しての記録報告文書があまりにも杜撰だったことのように。
世間では、記録や書いてあることは立派だが、話を聞いて実際を見たりすると、どうかなと思うことやお粗末なこともある。逆に、話では共感、共鳴するようなことがあっても、具体的なことをあまりしていなく、記録もおざなりであったり、残していなかったりする。
どちらもまずいと思う。何か共に作っていこうとするとき、特に話の段階ではいくらでも広げていけるので、その都度の詳細な記録として残していかないと、適切な対応ができているかどうかも分からなくなる。
その記録の検証の上で、話し合いを重ね、共に作っていくことが大事だと思っている。