日々彦「ひこばえの記」

日々の出来事、人との交流や風景のなかに、自然と人生の機微を見いだせてゆけたら、と思う。※日々彦通信から一部移行。

◎ありのままの自分を好きになる

〇自立生活センターの活動に触れて
 ​「自己肯定感」「自尊感情」について、自立生活センターの動きに触れる。

 自立生活センターとは、障害者自らが福祉の担い手として、サービス事業を行うところ。どんなに障害があっても、施設や親の庇護の元で不自然な形で生活するのではなく、ごく当たり前に、その人が望む地域の中で、普通の暮らしが実現することを目的としている。

 障害者が自ら「選択」し、決定し責任を負う。管理され、保護される立場から、自らが人生の主役として暮らしていくという理念。

 1972年カリフォルニア州バークレーに、障害者が運営し、障害者にサービスを提供する「自立生活センター」が設立され、その動きに触発されて、日本でも困難を抱えながら着々と設立されていった。それは、自立生活の理念を実現させる最も有効な手段として、サービス事業体であると同時に運動体という形態をとってきた。

 重度の障害者が暮らしやすい社会は、誰にとっても暮らしやすいわけだが、その人たちが暮らすためには良いサービスがその地域に存在している必要がある。しかし良いサービスは、黙っていたのではできない。その必要性のある人が行政に訴えていくこと(ニーズの顕在化)と、そのサービスを提供できる事業体を障害者たち自身の手で作り上げる方法がとられ、その事業体を行政が支援することが必要となるため、積極的な働きかけを行ってきた。

「親が高齢になって、障害のある子を介助できなくなったら、どうして施設に入らなければならないのか」。「自立生活を始めるにあたってバリアーになるのは、身近な家族であることが多い」など固定観念が根強く残っている社会の中で、障害者自身がサービスの利用者から担い手に代わっていくことが、最も良い社会サービスを提供していく最良の手段であることが明らかになっている。

 勿論そのためには、地域社会の理解と支援が欠かせない。

 

 福祉関係の活動をしていたとき、自立生活センターにも関わっていました。私が接していた自立生活センターは、脳性マヒや筋ジストロフィーの人たちが結成した事業体です。みな援助なしには一人では暮らしていくのが困難なので、24時間介助グループをつくり、その一員で仕事をしていました。

 昼間は主に精神障害者の介護ヘルパーをしていたので、夜勤で、夕方5時頃から翌朝8時まで週に2度ほど担当していました。食事、調理、排泄、入浴、更衣など、すべて援助しながら共にしていきます。今の僕からはとても考えられないですが

 大変なのは夜中のトイレで、声をかけられベッドから担ぎ起こして、すぐ横の便器に移して、用を足したらベッドに戻す。体調によるが、大体一晩に2~4回ほどあります。尿瓶を使う人もいるが、大便の時は、やはり同じようにします。それと入浴介助も俺にはきつかった。下手な人がすると、当事者も大層不安を抱えていて、何かと我慢していたりします。終わった後の水分補給は、たまらないほどうまかったです。

 不思議なもので慣れてからは、ふと目を覚ましてしばらくすると声がかかることがあり、当事者に聞くと、それまで寝ていたといいます。これについては、いろいろな要因があるのでしょうが、普段のバタン、キュウ、朝までグッスリの僕からは全く想像できません。

 時折、仕事が終わってからの翌朝の風景に何ともいえず爽やかな気分を味わいました。

 

 【参照資料】
※以下に紹介するのは、私が関わっていた自立センターを主になって立ち上げた人です。大層魅力的な人で、このような体験の数々を経て自立センターを立ち上げました。

〇「ピア・・カウンセリング集中講座に参加して」松田慎二
(平成五年度生活交流会での講演より)一部抜粋
 ピアっていうのは、仲間っていう意味らしです。それと、カウンセリングっていうのは相談するとか、相談業務とかいう意味に訳すと一番適当かなと思うんですけれど、だから、障害者が障害者を相談するっていうことの意味が、いわゆるピアカウンセリングって理解してもらってええんやないかなあと思います。だから、助けられる人と、助ける人は、あくまでも対等の関係でいるというのがピアカウンセリングの基本的な考え方やと思ってもらっていいんやないかなあと恩います。--------

 (4日目)のセッションで、今度は自分の体の中で、好きなとこを実際人の前で言ってくれって言われるセッションがあったんです。
 それで、その時、僕は、自分の体の中で、好きなところは、やっぱリ、顔かなあとか思ったんやけど、そんなことは言えやんし、やっぱリ、僕自身、小さい時から、足で字を書いたリ、足でワープロを打ったリ、今現在も、電動車椅子を足で運転しているわけです。それで、やっぱリ、自分の体で好きなところといったら、この36年間使ってきた足かなあということで、ほんで、僕は、この好きな体の部分の所で、好きなところは、この足ですって宣言するわけです。
 それで、それじゃあ、自分の好きな部分を声をだしてほめてあげてくれって言われるんです。そうすると、ますます自分の好きなところが好きになリますよって言われて、「そんなことあるかあ。」って思とったんやけども、実際、口にだしてほめてあげたんです。

 この足は、養護学校では足でテストを受けて、大学の通信教育では、足でレポートを書いて卒業して、ほんで、東京まで1人で電動車椅子で、この足で操縦して来れて、すごい足やなあ、と自分で声をだしてほめてあげたら、不思議とこの僕の鬼のこの目から涙がぽろぽろとでてきまして、あれはすごく不思議な感情になったわけです。----
 障害のある人も、ない人も多分、自分の体の中で好きなとこを声を出てほめてあげるっていう経験は、多分ないんやないかなあと恩いますし、それで実際、僕自身が、長年使ってきた足を声をだしてほめてあげるっていうことで、すごく自分の心に素直になれたんやないかなあと思います。それで、自分の足がすごい足やなあと思えてきて、ほめとる間に自分の足がますますいとおしくなってきてすごく自分の足が魅力的に見えてきて、「わあ、すごいなあ。」と思とるうちに何か、いわゆる、目頭が熱くなっていったというか、すごく感情が高ぶってさ涙が出てきたっていう不思議な経験をしました。

 そんな中で、5日間ピアカウリングを受けてきたんですけども、その結果、どんなに障害が重くっても、やっぱり自分の体、あリのままの姿っていうのは好きでないとあかんのやないかなあと思いました。それで、自分のことが好きでないと、相手のことを好きになる資格は無いんやないかなあと思いますし、自分のことが好きやないど、相手に対しても、援助してあげることもできないし、相手に、一緒に頑張ろうな、と言うこともできないんやないかなあと思います。
 それで、僕自身、障害があるっていうことで、自分の体を嫌いやと思ったことは一度もなかったんですけども、取リ立てて、好きでもないと思ってて、ただ、好きなことはないけども自分の体は、いとおしいなあとは常々思ってたんですけども、やっぱり、いとおしいだけと違って、自分の体が好きで、自分の体が一番大切やっていうことをこの5日間のピアカウンセリングのなかで改めて、知らされたっていうのが、すごく良かったなあ、ええ経験をしたなあと思います。だから、あリのままの自分をどれだけ好きになれるかっていうことはすごく大切やないかなあと思うし、自分のこどが好きでないと、自立生活とか、親亡きあとの問題っていうのは、なかなか考えにくいんやないかなあと改めて痛感しました。